西新宿メモリーズ
現在の西新宿に、かつて巨大な空地があった。
三十年ほど前の話である。
初めてその空き地を見たとき、埼玉からやってきた私は、心底、驚いたものだ。東口はビルが立ち並ぶ、まぎれもない「東京」のイメージなのに、ここはいったい何だ、と。
とある当時の人気ロックバンドのライブでのせりふじゃないが、ここは東京だぜ(なのに)、と。
そしてそれは、星新一「おーいでてこい」の穴のようにも、東京の真ん中にぽっかりと不条理にあいている、穴のようにも思えた。
その土地は、明治時代からつづく浄水場(淀橋浄水場)だったが、1965年に東山浄水場に移転、廃止になったという。
その穴の上に、やがて、建築されたのが、いまの都庁である。
その印象を私は自分の小説で、次のように書いたことがある。
「新宿のどこ?」
空き地だ、と電話の相手はいった。
「空き地?」
私たちのあいだで「空き地」というと、西新宿の都庁ができるまえの土地のことだった。当時は広大な空き地で、柵はあったが、なかに立ち入るのは簡単だった。とくに深夜、そこに入ると、超高層ビルの光に照らされて、東京の中心にあいている大きな穴、そんな印象がしたものだ。
(『スズキ』所収「音の雫」)
私にとって、昔、新宿は親しい街だった。
紀伊國屋ホール、シアタートップス、タイニイ・アリスなどの劇場があったからである。
当時は、頻繁に足を運んでいたのだ。
そのほかにも西口にあった小さなレコード店やスタジオアルタの6階にあったレコード店、ディスクユニオン新宿店などにも足を運んでいた。
日清パワー・ステーションなんてお洒落なライブハウスもあり、好きなバンドが出演していたときは、友人を誘って出かけていた。
西口にあるレコード店は、へヴィ・メタル専門店が多かった。ヘビィ・メタルそれ自体には、それほど興味はなかったが、へヴィ・メタルのレコードが好きな友人に連れられて、探りを入れるような気分で行っていた。
そんなレコード店に行くようなひとは、コアなファンが多い。
へヴィ・メタルファッションに身を包んだ、いかにも、という人々がいっぱいいた。
私は、奇異なものを見るような気がしたものだ。
そのときのことを、自分の別の小説で私はこのように書いている。
ときどき西新宿にいって、輸入盤のレコードを大量に買う。
あるいは、
西新宿の夜。高層ビルが光るバベルの塔のように屹立している。
(『スズキ』所収「ホリー・ジョンソンの愛人」)
ここまで書いてきて、そういえば、「ソレイユ」にも新宿を舞台にしていて、パンクバンドを登場させていることに気がついた。
ソレイユに初めて会ったのは、いまにも雪が降りそうなどんよりとした雲が垂れさがった寒い冬の日で、スタジオでのバンド練習が終った帰り道だった。ぼくは一人だった。西新宿の車道わきの路上にゴザを敷いて手作りのコピーの詩集を売っていた。髪の毛が短く、薄汚れたジーンズをはいていた。Gジャンの袖を通さずに肩からかけていた。ソレイユは震えながら、決然とした意志をもって、ゴザのうえにのっかっていた。大きな石のように。トルソのように。
(『スズキ』所収「ソレイユ」)
こうして考えてみると、私の中・短編集『スズキ』は、新宿の思い出をベースに書いているといってもいいくらいかもしれない。
演劇の話に戻る。
劇場で、不思議な体験をしたことがある。
観劇中(紀伊國屋ホールだったと思う)、ある女子のことをひっきりなしに思い出した。理由はわからない。とにかく思い出すのだ。
芝居が終了してから、ロビィを歩いていると、その女子がそこにいたのである。
舞台を見つめる客席の視線に、見覚えがあるものが、混じっていたのだろうか。そんなことがあり得るのだろうか。
いまだに不思議でならない。
紀伊國屋ホールには、当時、本当によく行っていた。
時代は前後するが、シスコアルタ店は、テクノのレコードを買うために行っていた。もっとも、テクノのレコードのほとんどは、渋谷で買っていたので、新宿店に足を向ける回数は少ない。
それでも、ある日、この店がなくなってしまったこと、いや、それどころか、シスコ全店が廃業してしまったことは、本当にショックだった。
シスコで、私がいちばん多く通っていたのは、渋谷にあるシスコテクノ店だった。その店の廃業を含めたシスコというレコード店には、いまだに愛惜の思いがある。
その思いも込めて、私は、スタジオアルタ6Fシスコ店を、「アナログガール」に取り入れた。
希が約束の時間すこしまえにいくと、新宿アルタまえは例によって待ち合わせの人々でごったがえしていた。希はよく目立つように原色が鮮やかなワンピースを着て、ラスタ帽をかぶっていた。希はトミーらしき人物を捜そうと見まわしてみたが、希に目をとめているようなひとはいないようだった。トミーからはどんな服装でくるのか、目印はなんなのか、ぜんぜん教えてもらっていなかったのだ。ずいぶん時間がたったような気がして、腕時計をのぞくと、すでに三十分の遅刻だった。
あるいは、
エレベーターで六階のレコード売り場にのぼって、ハウスのコーナーのまえにいくと、二人の客がいた。まるでキツツキのくちばしのような手つきで、ジャケットを引っ張り出してはちらりと見て、必要のないレコードは性急にもとの場所にもどす。神業のような素早い手つきだった。もう一人のひとはのんびりとジャケットを眺めていた。二人の客を見たが、いずれも男だった。
当時、劇場のロビィで、知り合いとぱったり出くわすことがあった。
いまでは、そんなことはない。
ある日、新宿に出かけ、散歩するように街を見た。当時、夕食をたべた記憶があるお店は、きれいさっぱり消えていた。
小気味がいいほどだ。一軒もなかった。
洪水のように大きな時代が流れ、すべてを洗い流して去っていったのだ。
私だけがひとり、川底にしがみついた小石のように取り残されて、立ち尽くしていた。
マイ・シティもなくなっていた。
私の中にある新宿は、いまでは、私の思い出のなかにしかないのだ。