その店は、やがて失われても、私の記憶のなかのその店は失われない。
3月30日で閉店。もうすぐだ。
狭い店である。カウンターに7席。
うどん屋をうたっているが、飲み屋のようでもあった。
自転車で、数えきれないくらい店の前を通過していた。だが、入ったことはなかった。なんとなく気になる店ではあった。しかしながら、そんな店は、この界隈には、たくさんある。近くにブックオフがあり、目当てはそちらのほうにあった。
閉店する、という張り紙が貼ってあった。それで、ようやっと入ってみる気になった。
この街の記憶の一部をたしかめてみるような心持だった。
妻くんは、冷やしざるうどんに、かき揚げをつける。
私は、焼きうどん。焼きうどんは、かつおぶしが表面にかけてあって、うどんがまったく見えない。美味しい。
老夫婦が二人だけで経営している。
「心臓の手術をしてね、体調がね、よくない」と奥さんは話していた。旦那のほうは、手首から先がなかった。
記憶とは不思議なものだ。その店は、やがて失われても、私の記憶のなかのその店は失われない。
その街の記憶として、その場所で生きつづける。
その場所を通るたびに、思い出す。はっきりと視える。
それは、おそらく、記憶が豊潤になるということなのだ。
閉店までには、もう一度こようと私は思った。
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