境界のrinne

高橋留美子さんの(そこそこの)ファン

 高橋留美子さんの漫画は、「うる星やつら」「めぞん一刻」から読み始め、熱中した。そして「らんま1/2」でちょっと休止。で、「犬夜叉」でまた読み始め、「境界のRinne」は、読んだり読まなかったり。で、現在「少年サンデー」に連載中の「マオ」に至る。第1回は「少年サンデー」紙上で、それ以降はコミックス第1巻で読んだ。

「るーみっくわーるど」といわれる短編作品群もあり、読んでいる。

 まあ、そこそこのファンだと思う。

 昭和の香りがする、という言い方は、時代遅れ、あるいは時代錯誤という文脈で、現在では使われることが多いような気がするが、昭和を生きてきた私としては残念だ。

 昭和にだっていいところはいっぱいあったのだ。

 高橋さんの代表作である「うる星やつら」は昭和53年(1978)に始まっている。「めぞん一刻」は、昭和55年(1980)年。まさに昭和を生きた漫画だと思う。
 高橋さんの「境界のRinne」は、昭和の香りを随所に残しながら、あるいは昭和をより洗練させながら、平成を生きている作品だったと思う。

 たとえば、たまたま近くにあったコミックで、例を出そう。「境界のRinne」15巻では、「肩が重い」。肩が重い→片想い、となるのが、この作品のミソだ。ダジャレ。だが、逸品。
 16巻では、「夢の相合い傘」が逸品。相合い傘という言い方がすでに昭和ではないだろうか?
 平成の世に、相合傘の高校生カップルは似合わない(気がする)。平成の高校生カップルも相合傘でどきどきするのだろうか。「ちいさな恋のものがたり」のチッチとサリーじゃあるまいし。
 いや、どきどきするか? わからない。

 私は昭和とか、平成というタームで、ここまで書いてきたが、あるいは昭和とか、平成とかは関係なく、読者層の中心であろう高校生男子の気持(恋する気持)は、いつの世でも変わらないのものなのだろうか?
 ちょっとそんな気もする。

 「マオ」も、実に楽しみに読んでいる。

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