藤澤清造さんはどこで死んだのか?
西村賢太さんの小説から藤澤清造さんを知り、藤澤清造さんの本から藤澤清造さん自身が1932年1月29日早朝、港区芝公園内の六角堂内で凍死体となって発見された、ということを知った。
先日、たまたま芝公園にいく機会があり、どのへんだろうかと思って、芝公園内を歩いた。公園内の地図を見たが、六角堂というお寺(?)はなかった。現存していないのだろうか。
スマホで調べてみたが、出てこない。
いい機会なので、芝公園近くに、区立みなと図書館があり、レファレンスを受けてみた。
二階の参考図書のコーナーに案内された。「ネットには出ていないようなのですが」と付け加える。
何人か、係員が代わり、奥から年配の女の人が出てきた。「以前、質問を受けた覚えがある」とのことで、港区の古地図や古い文献を持ってきてくれた。「藤澤清造貧困小説集」(2001年4月刊行。限定500部)といっしょに。
ネットに頼らない。本をベースにする。図書館なのだから、当たり前だといえば当たり前だが、それが当り前ではなくなったのが、現在である。
書名や著者名がうろおぼえであっても、キイワードで、ある程度までは検索ができてしまう。簡単なレファレンスならこれで充分。司書資格などいらないのではないか(私自身、司書免許を持っているが、そう思ってしまう)。
これが図書館のちからだと思った。本のことは本で解決する。そう思ったのは、久しぶりのことだ。
係員が持ってきてくれた港区の古地図や古い文献を眺める。なんとなくだが、わかるような気がする。「藤澤清造貧困小説集」には、それと思われる場所の写真が出てきた。
「六角堂。いまは、ないですね」
係員はそういった。
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