自分の顔がわからない
人違いされることがある。
大手書店にいたら、店員さんと間違われて、本の場所を聞かれた。私は店員ではなかったが、その本の場所を知っていたので、教えた。よろこばれたので、ああ、いいことをしたなと思った。
まあでも、不思議な話である。店のエプロンをしているわけでもなかったのに。
クラブで間違われたことも、数回ある。クラブは基本的に暗闇で、光がわずかに灯っているだけだ。だから、顔がよく見えない。間違われやすいとは思う。
たいていはライターに間違われるようだ。
たぶん音楽ライターに。
でも、本物ではないので、自分が誰かのふりをした、偽者になったような、うしろめたい気分に襲われる。
クラブ内は、爆音で、音楽がかかっているし、相手はたいていこちらに笑顔を向けているので、本物に具体的な迷惑がかかるわけではないだろうし、本物と思わせておいても、いいか、と思い、それ以上、つっこまない。
一度など、握手さえしたことがある。
相手がただ、酔っているだけなのかもしれないが。
Sudden fiction、超短編、いわゆる掌小説です。あっという間に読み終わります。
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峰葬一は、クラブでしばしば人違いをされる。
北青山にあるMIXで、暗闇のなか、のんびりと踊っていたら、知らないひとが寄ってきて、ライターさんですか、と尋ねられた。ライター? 作家か?
池の水面に浮かんできて、口をぱくぱくさせている鯉のような顔をしながら、葬一は左右に首を振った。ちがう、と。
別の夜、南青山にあるBlueで、気持よく踊っていたら、見知らぬ男が近寄ってきて、葬一の肩を軽くたたいた。満面の笑みを浮かべている。
「****さんですか?」
その名前は知っている。ハウス系では中堅どころのDJの名前だが、ハウス系の中堅どころのDJの顔を正確に知っているひとは少ない。葬一だって、クラブミュージックの専門誌で対談をしていて、その写真をちらりと見たことがあるだけだ。しかもぜんぜん似ていない、気がする。
だいたいにおいて、年齢がちがう。そのDJは、葬一より、一回り若い。
DJは、一般社会に適合しなさそうな、どことなく浮遊した空気感をまといつかせているものだが、葬一はそうではない。
はみだしてはいるが、基本的にサラリーマンである。
葬一は左右に首を振った。またもや、鯉のような表情になって。
男はなにを思ったか、「笑ゥせぇるすまん」のような笑顔になって、突然握手をもとめてきた。八つ手のような手で、葬一の手を握りしめた。がっちりと。友情をたしかめあう友人のように。かたく、強く。
葬一は拒まず、がっちりと受け止めた。
その後も、葬一は間違われた。
葬一は、誰かに似ているのだろうか。葬一ではない何者かに。葬一を葬一として、声をかけてきた人間はいない。
葬一はときどきそのことを思い出す。自分の顔がわからない。何者かの仮面が、自分に、がっつりとはめこまれているよう気がしてならない。
自分はいったい誰なのだろう、と思う。