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造形にこだわるのは、建築士のエゴ?

こんばんは。
いとぐちです。

最近、自分の中でずっとモヤモヤとしていたことがありました。
それは、お客さんに対して提案するもののどこまでが私のエゴで、どこまでが提案で、どこまでがニーズなのか。こうした方がよくなりそう!と思ったことが、時間が経つとこれは作る側のエゴだな、、、と思ってしまったり。

今日、進行中の案件の参考に住宅特集の2024年1月号を読んでいました。対談のうちの一つの乾さんの言葉に、はっとさせられました。

私なりの言葉で要約すると、
・建築家がある物件を対象として造形的な手法にこだわることは建築家の「作品」(否定的な意味で)であること
・建築家が社会的な背景や問題を汲み取って作ったものは社会の「作品」(いい意味で)であること

つまり、社会の存在があって、ある問題に対する解決策を提示できていることが、大切であるということ。
しかし、住む人の暮らしへの配慮を欠いていては、それは建築家ではなく活動家であるということ。

「社会性」と「心地良さ」をもっていい住宅作品といえるということ。

(しかし、お客さんが社会性を求めていないことはしばしばあると思うが、作る側として社会性について考える努力はしないといけないと思うことにした。チョコレートを作る人が、食べる人に求められていないからといって、社会的課題は無視するというのはあまりにも無責任だと思うから。)

お客さんに求められていないことでも、社会的に解決策を考えることは建築士としての責任。
お客さんの心地よさに配慮するのは、建築士として当たり前。
造形的にこうしたらもっといいのに!というのは優先順位としては低くあるべき。(そうはいってもインテリアは特に、造形的な仕上がりから入ってしまうことが多いので難しい、、、)

今日は気づきがあったことだけでもいい一歩だったと思うことにします。
乾さんの著書を読み漁ってみたくなった1日でした。

いとぐち

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