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「おんなの子なのに、愛嬌のない子」と言われた私が・・。

こんにちは!

「トコトン・ダイアログ」対話ファシリテーターの長岡まりです。


今日は、

先日言われた言葉をきっかけに

思い出したことがあるので

そのことを書いて見ようと思います。



先日、初めて会った方に


「笑顔が素敵ですね!」

「愛嬌のある顔をしていらっしゃる」」


と言われたのです。


「愛嬌のある顔?」


もうびっくりしました。


何故か?


私は子ども時代

「愛嬌のない子」


と言われ続けてきたからです。


「愛嬌のない子」

の前に必ず


「おんなの子なのに・・」

という言葉がついてきました。


そう、私は

「おんなの子なのに、愛嬌のない子」

だったのです。


この言葉は、私にとって呪縛のようでした。



自信を失わせる言葉であり

おんなの子としして価値がない

と思わせる言葉でした。


大きくなるにつれ

「おんなの子」としてに強い反発を

覚えるようになりました。


「おとこの子」なら許されることが

「おんなの子」だから許されない。


「おんなの子」はいつもニコニコして

愛嬌がよくなければいけない。


そうでないと好かれない。


鹿児島は、私のこども時代は、

男尊女卑の傾向がまだまだ強く

家庭の中では

男である父は絶対的存在でした。


「おんな子どもは黙っていろ!」


と言われ、自分の考えや意見を言うことすら

ゆるされなかったのです。

(裏では、家庭は母が握っていたと思うのですが)


そんな環境に反発して

私は、


「おんなの子」でいること


を嫌悪をするようになったように思います。


それは、「おとこの子」は敵だ!ライバルだ!

という価値観にもつながったのです。


父の


「お前がおとこだったらな・・」


の言葉もその考えを加速させました。



必要以上にニコニコしない。


なぜなら、それは「おんなの子」

それも周りから求められる「おんなの子】像に

あわせることになるから。



今、考えれば、笑ってしまう程、

短絡的な思考ですが、

当時は、本気でそう思っていた気がします。



私にとって

「愛嬌がある」

は褒め言葉ではなく

自分の存在を脅かす言葉だったのです。



ここずっと、長いこと忘れていて

思い出すこともなかったことでした。


それなので

「愛嬌がある」と言われた時に

昔のことが思い出され、

こうして書いてみたくなりました。


どうして、私が、その呪縛からぬけだしたのか?


はまた次回!


今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


「トコトン・ダイアログ」対話ファシリテーターの長岡まりでした。

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