想いと情熱は、人のこころを動かす。
昨日、保育園で手話通訳を付けて
職員研修を実施したことを書きました。
今日は、
この保育園とのご縁について
書いてみようと思います。
この保育園とのご縁は
もう6年になるでしょうか・・。
関わるきっかけは、
経営者のMさんから
長文のメールをいただいたことでした。
メールをいただく少し前に
Mさんと私は保育園の見学会で
出会って、
名刺の交換をしていました。
当時の私は、
勤務先の社長から
「保育園を作ろうと思うんだけど、
やって!」
と言われ、
0からのスタートで
何から手を付けていいのか・・?
悪戦苦闘していた時でした。
そんな時
国が、従来の手法だけでは、
待機児童問題を短期間では
解消できないと考えたのです。
新たな手法として、
内閣府が主体になって
企業が保育園を作る制度
「企業主導型保育事業」
という制度を
始めたばかりでした。
私たちは
「企業主導型保育園」を作る方向
へ動き始めていたのです。
内閣府にとっても、
初めての制度で、
企業主導型保育園の1号園
になる私達の
「めばえ保育ルーム」には
とても協力的でした。
並行して、私は、
実際の保育園の見学会などに
積極的に参加していました。
そこで出会ったのが、
Mさんでした。
見学会後しばらくして
Mさんから届いたメールには
「なぜ、自分が保育園を
作りたいと思うのか?」
「どんな保育園を作りたいのか?」
の想いが熱く語られた
プレゼン資料がついていました。
私は、彼女の情熱と想いに
こころを動かされたのです。
彼女のお子さんは
「聾」で生まれました。
生まれてすぐに
「耳が聞こえない」と分かった時
「自分の人生は、終わった・・」
と思ったと
後から話してくれました。
自暴自棄にもなったそうです。
その絶望の淵から立ち上がり、
就学前の聾の子供たちの
保育園がないなら
自分が
「聾の子供たちの保育園を作ろう!」
「手話が使える保育士さんがいて
子どもたちの聞こえないを
マイナスにしない場を作ろう」
と考えたのです。
すごい情熱と想いをもって。
そうして、保育園開設に向けて
あれこれ動いたのですが
最初の私と同じように
壁にぶつかっていました。
そんな時に、
見学会で私が話した
「企業主導型保育園」に興味を持ち
「是非、教えてほしい?」
と連絡してきたのでした。
その頃、新しい制度として、
企業主導型保育園は
注目されはじめていました。
「コンサルしますよ」
という会社も出てきていました。
彼女は、ひとりではどうにも難しいと考え
コンサルに依頼しようとしていました。
その前に
迷って私に連絡してきたのです。
コンサルの費用は
150万ということでした。
私は、彼女の情熱と想いに
気持ちが動かされて
「彼女の力になりたい!」
と思ったのです。
そうして
「コンサルを入れる必要はない。
私がタダで全部教えるから」
と言って全面サポートを
約束しました。
まだ、誰も作ったことがない
制度の保育園です。
知識だけのコンサルよりも、
実際現場で動いていて
内閣府とも連携をとっている
私の方がよっぽど詳しい情報を
もっていると思ったからでした。
それからは、場所探しから
制度の活用の要件や
申請の方法などなど・・。
自分が経験していることを
そのまま教えたのです。
そして、1年後、彼女は、
思い通りの保育園を
作りあげたのでした!
自分の保育園ができた時も、
「ようやく、できた!」
と感動しました。
けれど、
彼女の保育園ができた時は
それ以上に感激したのを
覚えています。
あれから、5年。
私は、会社の方針で、
保育園をすべて事業譲渡し
保育の現場を離れ
会社も退職しました。
けれど、彼女は、
コツコツと運営を続け
5年間、黒字で経営し続けています。
理想としていた
「聾の子供も、
保育士もいる保育園」
多様な人が働き、
聾のこども達の
居場所となる保育園
をしっかり作り上げているのです。
本当に素晴らしいなと思いますし
コンサルとして
友人として
先輩として
今も心から応援しています。
思えば、私には、
ふとしたご縁から
5年~20年近く
関わり続けている方が多いことに
気づきます。
本当にありがたいことですし
人のご縁を大切に・・したい。
と改めて思っています。