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もう2度と会えないとわかっていたら・・。

こんにちは。

「トコトン・ダイアログ」対話ファシリテーターの長岡まりです。


今日は、ギクシャクしている人間関係の解決のヒント

を書いてみようと思います。



そもそも人間関係でひとつもギクシャクしていないなど

ありえない。

人生の最大の悩みは、生まれてから死ぬまで

「人間関係」が一番といわれているのだから・・。


そう思った方も多いのではないでしょうか?



私は、楽天的で、少し鈍感なところがあり、

切り替えも早いのですが

そんな私でも

これまで人間関係で


「もう無理・・。」

「これ以上は、道がない」

「私は、悪くないのに、どうして・・?」


と死にたいほど悩んだことが何回かあります。



その後、

あの時の私に

「こう考えれば、よかったんだな・・・」

と教えてあげたいと思っていることがあります。


それは

「もう2度と会えないとわかっていたら・・」


ということ。


ギクシャクしている相手となかなか関係修復ができない。

そんな時の解決方法は、

「相手が変わること」

を期待するとまずうまくいきません。


「自分が変わる。」

しか関係修復の1歩は、

始まらないのだと思うのです。


けれど、

「自分が変わる」

その1歩がなかなか踏み出せない。


「どうして私が下手にでないといけないの・・?」

「悪いのは相手じゃない!私は悪くない。」

「だから相手が先に折れるべき。」

「私からは絶対謝らない。」

「自分から歩み寄ることはしない」


こう思っている限り、関係修復は難しい。


自分の自尊心やプライドで

自分を守っているのです。


けれど、ちょっと考えて欲しいのです。


「そんなにあなたの自尊心やプライドは

大事ですか?」と。


あなたの自尊心やプライドが

一番大事だと思うなら仕方ありません。



けれど、こころの片隅に

「この人と関係修復ができないままだとイヤだな・・」

「本当は、仲良くやりたい」


とちょっとでも感じているなら、

その気持ちを自分の自尊心やプライドよりも

大切にした方がいいかもしれません。


そんな時、問うてみて欲しいのです。



「このままぎくしゃくしたまま、関係修復できないまま

相手が、もしくは自分が明日、死んでしまったら

後悔しないだろうか?」と。


決して、ありえないことではないのです。


もう2度と関係修復の道が閉ざされたとしたら・・。



私は、6年前の6月3日に突然娘を亡くしました。

朝、「いってきま~す!」と送ったLINEに

「いってらっしゃ~い!」と返ってきた返信。


いつも朝の変わらないやりとりでした。


仕事を終えて、スーパーで夕食の買い物をして

「ただいま!」と玄関のドアを開けるまでは

変わらない日常でした。



ドアを開けて、廊下に倒れている娘を見た時、

もう既に冷たくなっている娘を見た時、

いつもの日常は崩れ去り


「なにげない日常は、こんなにも簡単に失われるのか・・」


言い古された言葉を身をもって感じました。



6年たった今でも

あの光景を忘れることはありません。



そして、思うのです。


「もう2度とこの人会えないとわかっていたら、

なんでも許せるし、ケンカなどしている時間はないのだ」


自分の自尊心やプライドより

もっと大事なものがある!と。


「ごめんね」

「ありがとう」


そう自分から声をかけて

時間はかかったとしても

関係修復の一歩を踏み出したいと。


そうすることで

関係修復ができなかったとしても

少なくとも後悔はしなくて済むと

思っています。



毎年6月3日の娘の命日が近づくと

色々なことが想いだされ

落ち着かなくなる私です。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

「トコトン・ダイアログ」対話ファシリテーターの長岡まりでした。

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