レポート | 2024年5月のいとち | 医を出て医を振り返る
いとちワークは、かしま病院が非医療の地域メンバーと合同で週に1度実施する地域医療の実習プログラム。病院の外に出て、まちを歩いたり、ワークショップに参加したりしながら、人の背後にある「地域」や「暮らし」を見て感じるプログラムです。医師ではなく、医療職でもない、地域の人たちが講師を務めるのが特徴です。
徐々に気温も上がり始め、初夏のような日になることも多い鹿島の5月。快晴の日はちょっと暑さを感じますが、半袖でまちを歩くのにはもってこいの季節です。5月は雨天の日もあったものの、順調に4回の「いとちワーク」を実施することができました。
5月は、福島県立医科大学の5年生が2名ずつ週替わりで合計8名参加してくれたほか、杏林大学医学部の6年生が4週間の実習に入りました。また、今月から、かしま病院に研修に来ている初期研修の先生が毎週1名ずつ入ってくれることになりましたし、5月末からは医療創生大学の薬学部に通う学生が2名、いとちワークに参加してくれています。
医学生が3名、研修医1名、薬学部生2名に加え、インターン生が2名、さらにいとちスタッフや地域の皆さんも入ると、毎回10名以上の参加者になります。このくらいになると、ワークを2グループに分かれて実施できるようになったり、さまざまなバリエーションで実施できます。やっぱり賑やかなのがいいですね。
5月のいとちワークは、こんなプログラムを実施してみました。
第1周 5月7日 雨のため対話WS「いとちかいぎ」
第2周 5月14日 久保地区まち歩き
第3週 5月21日 さくらんぼ保育園でのあそび実習
第4週 5月28日 どせばいいカード&WS
いとちワークは毎週火曜日ですが、もちろん他の曜日にも、かしま病院としての研修が日々行われています。カンファレンスに参加したり、在宅診療に同伴したり、医師による診察に同席したり、あるいはかしま病院のそばにある「かしま荘」などの施設でさまざまな処置を行ったり、インタビューや聞き取りをしたり。とにかく現場で、実際に体を動かしてみるのが、かしま病院の実習です。
医療を学ぶ学校から飛び出すだけでなく、さらに病院からも外に出ていく。医を出て、その出た先で、自分たちがいた場所を振り返る。そんな実習をイメージしています。大学で勉強したことが通用しないこともあります。ですが、そんな状況でも、自分の引き出しにある経験や知識、周囲の人たちの助けを得て、局面を突破する術を自分なりに考えてみることが大事。短時間での実践と振り返りを繰り返す「リフレクション・イン・アクション」な研修になっています。
第1週は、いとちかいぎ。「地域とは?」「医療とは?」というシンプルな問いを集団でぐるぐる回しながら対話していく哲学カフェ的な実習です。今回のいとちかいぎで特徴的だったのが、「理想の患者とは?」という問い。学生たちからは「医師の話を聞いてくれる患者」とか「自分たちのいうことをちゃんとやってくれる患者」というような言葉が出てきます。たしかにそうなのでしょう。
でも、そこで大切なのは、もう一段自問すること、つまり「なぜ医師の話を聞いてくれない状態になっているのか」「医師の言葉が受け入れられない背景とはなにか」を考えることであるはずです。あえて「理想の患者」を言語化することで、自分が抱いている「理想の患者像」を相対化してみる。そんな時間になったのではないでしょうか。
第2週は、まち歩き。今月は人数が多かったので2グループに分かれて病院のそばを歩きました。まち歩きは、他者と語りながらまちを観察するのがいいところ。自分に見えていない場所をだれかが注目していたり、みんなが見ているものは違っていたり。そんな当たり前の事実に行き当たります。
一方で、見方のコツというものはある。たとえば、住宅の建築様式や庭の状況などから暮らしを推察したり、美しい風景の奥に、ここにあったであろう暮らしを想像したり、まちの地理的な構造を把握したり。
そんな「地域のつぶ」を集めているうちに、ぼんやりと「こんな町なのではないか」という見立てができるようになるんです。当たり前のことですが、なにもない地域などない。なにもない地域のように見えて、目の前の風景は、誰かの「自分らしさ」とつながっています。
医師にとって、患者は多くの場合「病院まで来てくれる」存在です。在宅診療で何度も通っているというわけでなければ、患者一人ひとりがどんなところで暮らしているのかなんてわからない。ですが、こうして医を出て地域を歩くことで、暮らしぶりが想像できるようになるかもしれない。想像するチャンネルが1つ増えるだけで、解像度は上がります。
また、第4週にはアドバンスド・ケア・プランニングを体験できる「どせばいいカード」を使ってワーク。「人生の最期、自分はどうありたいか」というビジョンをカードで示すゲームになっています。自分の「死生観」をじっくりと紐解きながら、他者の死生観とも突き合わせていくのがこのカードのなによりおもしろいところ。
自分が大事にしたいこと、大事にしたい考えや哲学。それは、他者にとっては取るに足らないものかもしれない。価値観のズレを感じながら、だれかの最期、私の最期を支えることについて、そして、お互いが人生において大切にしているものを考えていきます。
かしま病院の創設者であり、名誉理事長であった故・中山元二先生は、医療というのは人を知ろうとすることの上に成り立つ。医学だけでなく「人間」を学ばなければいけないし、これからの多死社会では、医師も死生観を磨いて語り合うべきだ、という考えを持っていらっしゃいました。
ちょっとしたゲームでもいいから、大切な人の死にピントを合わせ、そこから医療の役割を考えてみる。そんな時間が、この「どせばいいカード」から立ち上がっていきます。学生たちもにこやかに、でも真剣にゲームに臨んでくれました。元二先生がいたら、どんな言葉を医学生たちにかけただろう、なんてことも考えずにいられません。
5月の振り返り
5月にいとちで学んだ学生たちからは、こんな感想が寄せられています。
大学では全然気づかなかった患者さんの人生と地域との関係性について学んだ。患者さんの病気にしか目を向けられていなかった。病気が治癒したとしても幸せになるわけではないと気づかされた。暮らしている地域も知ること、視点を変えて人をみることを学んだ。
地域医療とは、その土地ならではの医療問題を解決することだと感じた。人生の最期を意識した寄り添い方は大学では経験しにくい。地域医療をじっくりと考えるよいきっかけをもらいました。
瞬発力よく言葉にするのは難しいが、良好なコミュニケーションは患者さんと信頼関係を築き、治療を促すことにもつながるし、医療従事者との情報共有をする上でも必要になってくる。コミュニケーション力を磨くことを意識してこれから取り組んでいきたい。
将来は外科に進みたいが、介護医療院での実習で、さまざまな疾患を持つ患者の存在に改めて気付かされた。手術をするときに、その手術する患者さんの臓器にだけ目を向けてはいけない、その方の持っている「病の捉え方」にも留意しないとダメだと学んだ。
このようなコメントがあった一方で、敬意を欠いていると受け取られかねない態度の学生も散見されました。疲れなどもあったのかもしれませんが、だれかの大切な景色を見せてもらう、そこで学ばせてもらうという謙虚な姿勢が、地域医療実習では必要なスタンスのように感じます。
もちろん、その謙虚さすらも、実際に地域に入り、地元の皆さんと交流してみないことには感じられないものでもあると思うので、私たちとしても、関心領域の異なる学生たちが、それぞれの学び、意識の変化につなげられるような場づくりを工夫していきたいと思います。
いとちナイト開催
また、5月末には、久々の「いとちナイト」も開催。かしまホームに宿泊中の医学生、いとちインターン、病院広報スタッフなども一緒に交流を図りながらも、単なる飲み会にならないよう、自分の興味関心・学びをプレゼンするという時間もつくっています。領域が異なる人たちとの対話が、研修全体に活きる刺激になればと思います。
今回の研修で初めていわきに来た、という学生がほとんど。領域のちがう参加者も多く集まりますから、なかなかうまくフィットできないという学生もいるかもしれない。そんなわけで、5月末には、いとちインターン高橋さんの誕生日のお祝いも兼ねて久々の「いとちナイト」も開催しました。
研修には「あそび/余白」も必要です。医療を飛び出したさまざまな語りの中に、医学生としての気づきや学び、変化の兆しも見つかる。6月も、大いに学び、語り、変化をおそれずに現場に突っ込んでいく時間をつくれたらと思います。以上、6月のレポートでした。