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日本史を面的に学ぶ。

2月に鹿児島、熊本を訪問してきた時に、それぞれの視点から歴史を学べたのが興味深かったです。

なにしろ学校で日本史勉強したのはもう○十年前。センター試験は受けなかったけど多分高校で勉強しているはず。。。あの頃の詰め込み教育では人の名前、事件の名前そして年号を中心に暗記するだけになってしまっていたので、あの頃誰がどんな風な立場で動いた結果、日本の近代化につながったのか、非常に感銘を受けました。大河ドラマとか見ろよという話かもしれませんが。(以下、正確さを求めずご覧いただければ幸いです)

1575〜1586島津家九州統一(未遂)のころ。

一方熊本城展示によると現在の熊本城はまだなく、いわゆる「古城」があった。島津家が攻めたのは龍造寺家なのかな。信長の野望で育った世代には猛将で名の知れた。当時スーパーファミコン。現在もスマホでできるんですって。

秀吉の九州出兵、講和。島津時代の終焉(1587)
加藤清正が肥後守に。現在の熊本城築城開始(1588〜)加藤清正は現在でも「せいしょこさん」と熊本市民に親しまれている模様。その頃から大規模な築城を続ける。

熊本城天守閣展示より

時は変わって幕末(1809〜1868)のころ、舞台は鹿児島。大政奉還までの歴史。

維新ふるさと館展示より

戦国時代の終わり頃から築城が始まった現在の熊本城。なんのためにそんなに堅固な城を作ったのか?そんな疑問のなか一度だけ、戦争で使われたのが西南戦争の時。(写真撮り忘れたので、下記ブログを引用。)新政府軍が立てこもり、西郷軍は打ち破ることができなかったとのこと。

西南戦争後、現在の鹿児島市内城山公園にて西郷隆盛さん死去(1877)

維新ふるさと館展示
鹿児島市内(至る所に維新の偉人たちの碑が)

それから熊本城もなんやかやありましたが(雑)、鹿児島側と関係しないのですが、これに触れておかなければなりません。この歴史に目新しい1ページが加わったのが2016年。

熊本城天守閣展示。

毎年のように各地で災害が起こるので、(広島でも平成30年西日本豪雨というのがあったり)申し訳ないことになかなか思い出す機会がなかったのですが、当然ながら現在進行形で復旧をすすめており、最近天守閣への入場ができるようになったばかりとのこと。それでもインバウンド客を中心に観光客人気は素晴らしいようで、できるだけ早くお金を落とせる状況にして一刻でも早い復興につながる取り組みには感動を覚えました。

最後に

面的に、という意味で言えば。
 三木城の別所長治、中国大返しの舞台備中高松城など、自分の住んでいる地域にも戦国時代の歴史が残っているのでどこかで紹介をしたいなと。

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