オンリーワンを自覚出来ない時代を生きる
世の親は、子供が誕生するまでは、五体満足に生まれてくれば有難いと思い、誕生すれば、子育てに腐心する人も多い。自分の成功体験に鑑み、子供にも生き方を踏襲させ、いい暮らしをして貰いたいと思い、かたや、自分の越し方を反省し、子供にだけは、こんな親になってほしくないと願い、親と真逆の生き方を請う。他にもその親子なりに、見守られながら自由に育ったり、まったく野放し同然に育つ子供もいる。どの子供が幸せかは、子供の資質と受け止め方にもよるので一概に言えない。日本の子育てや教育に対する理念もはっきりせず、何処へ向かっているのかもわからない。カッコつけたACジャパンCMが目立つが、行政の実践的な取り組みが必要なのに、いまだにパーフォーマンスに終始しているのが嘆かわしい。
どの親御さんも、我が子が、どんなナンバーワンの才能に恵まれているか否かに注視していると思う。鷹が鷹を、鳶が鷹を産んだらそれはそれで素晴らしいことであるが、稀なケースであるようだ。大半は早々に諦め、別な生き方を探すことになる。そんな時に、タイミングよく出てきたのがSMAPの「この世に一つだけの花」である。ナンバーワンを目指さなくても、それぞれがオンリーワンの価値があると言う人生の応援歌。どんなに救われた人がいたことだろう。しかし、現実には、定位置を確保できずに、彷徨っている人達もいっぱいいるのではないだろうか。自分とて、例外ではない。高齢で成れの果てに過ぎないが、オンリーワンとして希望に満ちているわけではないが、いまだにしがみついている。今浦島の感もあるが、誰も気にしないし、誰も気に留められなくても、生きたいように生きるだけ。
自由主義体制も、安易な方法としては、個人主義に委ねることなのだろう。極論すれば、法に違反しなければ、何をしてもいいが、自分で責任を取る、自己責任論が、まかり通る。1945年・太平洋戦争の敗戦を経て、日本国民も苦労し努力したが、アジアの紛争に巻き込まれなかったお陰で、物の需要による好景気に見舞われ、その後のバブル経済にもつながった。多分に、外交、経済の面で、恵まれていた。先進国になった奢りとこれだけの成熟社会にして道筋をつけたのだから、後は、個々の自治体、地方行政機構に委ね、国民各位の大人の対応に任せる。こんなアナクロニズムが世を支配していたのだ。
その間、1945年の敗戦を挟んで明治維新から77年間と奇しくも同じ、以後の77年間の良きものと悪しきものを峻別して、それこそ日本国のオンリーワンたるアイデンティティーを構築出来なかったのではないだろうか。その一つに、基本にもなる子育てと教育問題がある。何を学び、どう生き、社会とどんな関わりを持ち、如何に融和して行くかである。もはや世代間に限らず同世代でも、断絶は、著しい。一部の関わりを持つ人以外、隣人でさえ無視する。極論すれば、他人を見たら泥棒か変な人か無用な人と思い、距離を置く。こんな風潮が世に溢れている。真夏なのに、寒々とした日々を感じることが多い。他者との関係性がある中でこそ、オンリーワンも自覚できるのだと思う。やはり、資本主義、自由主義の悪弊を正し、民主主義を修正していく必要がある。
そんな思いにとらわれている矢先、香川照之さんの魂の叫びを聞いてしまった。NHKの香川照之の「昆虫凄いぜ」で、昆虫を例に、その能力の高さ、美しさ、偉大さを讃え、彼等は生きているだけで価値があるし、生きることが目的になっている。君達も何かをしようなんて思わずに、生きてるだけで素晴らしいことだと自覚してほしいと言うメッセージである。多分、子供も大人もオンリーワンを感じられない人達が大勢いることを、とっくに喝破しているから言わしめたのだと思う。
民間でも、香川さんのように、それぞれの分野で、よかれと想い、発信している人は、大勢いるのだろう。しかし、一般人が流れを作るのは、容易ではない。その点、国や行政機構から発信すれば、国家の意思が解り、浸透し易い。政治家が青雲の志を失わず、国の進むべき道を模索、立案し、改革する。国家・地方公務員も、それぞれの部門の現場で、行政の仕事を行いながら、齟齬があり、理不尽なことにも気付き、何処をどう改善すればいいかを一番知っているので、様々な提案も出来るはず。行政に携わる人達は、個人の一営業に堕することなく、国を形造る、国民が守るべき義務、あまねく平等に享受出来る権利等に関する重要な事案に携われる担い手なのだから、誇りを以って、頑張っている姿を見せてほしい。従順さと合わせることに慣らされた国民でも、いい流れには、嬉々として載れると思う。その先に、より豊かな日本社会が開けることを願っている。
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