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秋の一日、評判の、道の駅を渡り歩く

先日、山形県に出かけ、「米沢道の駅」に寄ってきた。買い物のビニール袋は、無料と表示してあった。大盤振る舞いされると、消費意欲が刺激される。以前から来県する時は、必ず、基点にしていた。品揃えが良く、野菜、果物も新鮮で補充も完璧である。特に、棒鱈の煮付けは、生臭さが少なく、酒を嗜む人や魚嫌いでない人には、甘じょっぱい味で独特の歯応えと後を引く食感がクセになる。日本各地の山国地域に出向いた折、この保存食を求めたが、米沢に優るものは少ない。数多くある、道の駅でも、東日本有数の売り上げを誇るだけに、いつも活気がある。ここで、食事したり、時間を費やすことは、予定通りであり、3〜4時間過ごすことになる。

往きは、会津若松から喜多方を通り、片側通行の大峠を経由し、米沢に向かったので、帰りは同じコースを避け、山形道から東北道を経て、郡山より磐越道で戻ることにした。途中、東北道に合流手前の大笹生(おおざそう)インターで降り、「ふくしま道の駅」を訪ねた。今年オープン以来、幾らも経っていないのに、「9月20日、来店者100万人達成!」とあった。入ってみて納得した。木材をふんだんに駆使した高い天井により、空間が生かされ、開放感に浸れる。品物の選択と集中も見事で、限られたスペースを最大限に生かしている。一般的な、気軽に入れる食堂と専門のメニューを備えたフードコートは、時間外にも関わらず、入りがよい。きっと、リピーターや口コミによる来店で、何時でも館内全体が適当に混んでいることだろう。特に絶品と思ったのは、蒟蒻だった。以前から、あちらこちらで求めていたが、灰汁が抜けなかったり、独特のクセが邪魔をして、刺身で食べるのは難しかった。煮こぼして、まったく無味無臭になった、薄切りにしたコンニャクに山葵醤油をちょい付けした刺身は、普段、口にする美味しいものとは別物の爽やかさ、キレ、やさしさがあり、抜群のご馳走になった。しかも価格が安く、食生活に変化、驚き、示唆を与える転機になり、腑に落ちるものがあった。従来の美味いものの観念に執着することなく、改めてヘルシーで、バランスも良く、メーンディッシュを占める食品を探したくなった。きっと、栽培から製造、販売に至るまで、手抜きをせず、丁寧に関わり、最小限の時間で消費者に届けた誠意が伝わったのかもしれない。お調子者でもあり、いいとこ取りでもある自分だけでは、信用できないかもしれないが、慎重で好悪の激しい妻の太鼓判を貰い、喜ばせることもできた。

これまでも、新潟県関川村・道の駅、宮城県大崎市岩出山「あらっ伊達の道の駅」等、行っただけのことがある道の駅は、各地に多いが、建設省の補助金、助成金の支援を受けている。これはこれでいいのだが、地方には、それぞれの生活がある。各地に出張で赴くと、外食だけに頼ることなく、現地の食糧調達事情も理解したい。スーパーに寄り、彼我の違い、良さも発見し、賑わっているのを見て安心するのだが、愕然とすることがある。やはり、レジ袋有料である。エコバッグを用意している場合も、生鮮食料品は、扱いにくく、そのまま入れる訳にもいかず、当惑する。しかも、レジ袋代を請求されると、消費意欲が落ちるのは、自分だけであろうか。決まったことではあり、小さな事に拘泥していると思われるかもしれないが、その理不尽さと姑息さに、未だ納得がいかない。本来、商店が品物を販売する場合、お持ち帰りいただく商品を包装するのが当たり前であり、その僅かな費用は、最低限の販売経費であり、商店側が負担すべきである。もし、消費者が準備をしてきたならば、包装レジ袋代に相当するものを還元する必要がある。しかし、プラスチック製品を減らすことにより、地球温暖化に待ったをかけ、地球環境の改善を図っていることをアピールしたい政府は、売り手側に僅かな経費節減を駄賃に、消費者を踏み台にしてレジ袋代等を払わせる片棒を担がせ、如何にも前向きに取り組んでいるかの如くポーズを取った。然るに、製造側には、プレッシャーをかけたり、脱石油製品開発の為、基金を捻出し、助成する等し、督励しているわけではない。更に、家庭の燃えるゴミの収集には、半透明のビニール袋を使用しなければ受け取らない自治体が多いようだ。今の段階では、地球温暖化、環境問題を重視するも、産業側、行政側の意向もあり、プラスチック製品を全面的に禁止する訳には、いかないのだから、配慮をしながら、使い回しをして、最小限に止める必要はある。

加えるに、消費税に不透明さがあり、諸刃の刃になっているのが気になってしょうがない。政府が、増加する財政負担に耐えられず、広く、薄く、全消費者たる国民に少額の消費税を課したが、最初は何とか、こなせたが、10%になると、その影響は看過出来ない。財政が厳しい時は、当てに出来、ひと息つけるが、その反動で景気が悪くなる。消費税以外の税収が伸びず、ボタンを掛け違った日本では、この先、頼れる政策とは、ならないのでは、ないだろうか。他の失政や国際情勢でも消費マインドが冷え込んでいるのに、コロナ騒ぎが加わった。もう、とっくに見直すべきであったと思う。元々導入の時ですら、参考にした、ヨーロッパ諸国に比べ、社会保障、社会福祉政策が極端に遅れていたのに、税収増だけを考えて飛びついたきらいがあった。当時も赤字国債を発行していたのに、消費税収を目的税として使用せず、一部の支持者が歓迎する予算として執行した。国民全体に負担してもらうつもりなら、もう少し丁寧な対応をすべきであった。例外なく、全てのものの売り買いに、その度に1%ずつ収めるなど、いわば売上税と消費税の折衷案である。その際でも、多少値上げするにも、慎重かつ、国民総意?の理解を得ることが肝要。その過程においても、諸懸案を実行する努力を見せなければならないのだ。

環境省や消費者庁にしても、やってるポーズを取るだけでは、やってないに等しい。しかも上級官庁たる総務省、財務省、経済産業省に牛耳られている。その先に大物政治家、産業界の大御所も控えている。自分には、敢えて誇りを持ち、生きてはいるが、何時になったら、日本国民が地球に世界に矜持を持ち、自国民であることの感謝をし、謙虚になれる国として一体感を持てるようになるのであろうか、期待を込めて切望している。



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