スポーツの立ち位置 〜高度経済成長から東京オリンピック〜
以前の記事では、明治維新に近代スポーツが欧米から入ってきたということを調べ、まとめてみました。
今回は、欧米から入ってきたスポーツが明治以降、高度経済成長やちょうどその頃の東京オリンピック(1964)にどのような立ち位置であったのか。また、日本にどのような影響をもたらしたのか。
明治元年以降、高度経済成長の時のスポーツについて調べてみました。
<明治から終戦までのスポーツ>
以前の記事と重なるところはありますが、
近代スポーツは1870年代から始まったと言われています。
日本の学校教育における体育科教育は、「軍事教育」の基礎となるべく、
「国のために役立つ国民育成」の一手段
として行われていたんです。
教育的側面が強い、富国強兵をスローガンとしていた時代にスポーツが取り入れられた背景があり、やはり健康や運動、として捉えれやすい。
元々の意味である、楽しむ、娯楽、などのエンタメ要素はどこにもなかったんです。
<終戦、東京オリンピック1964>
終戦後は、大学・企業を中心として発展した。
競技としての各種スポーツは、「欧米諸国に追いつき追い越すこと」を目指したものとなります。(力量的にも対等になること)
そして、東京オリンピックを迎えることになります。と同時に1950年代からの高度経済成長による戦後復興を目指します。
オリンピックはいいタイミングだったんですね、戦後からの復興を世界へ知らしめるのに。
・日本製品の世界市場への輸出の伸展
・大企業を中心とする財界の強い意向
オリンピックはアスリートの晴れ舞台のはずですが、
国際的なビッグイベントを招致する上では、開催都市、国の常套であるが、政権党の意図するナショナリズムの高揚策の一環としても期待された。
政治的利用から見ると、
ナショナリズム高揚や,明治以来の日本を一貫した発展とする近代化論によって1968 年の明治100年祭へ繋げ 、日本の侵略戦争や天皇制の抑圧を隠蔽する近代化論イデオロギー形成の一環として位置付けた。
(戦後日本の福祉とスポーツ、内海和雄、広島経済大学研究論集 より引用)
スポーツ界の悲願であったオリンピック招致でしたが、たくさんの思惑が背景にはあり、それが経済のためになったのか、国のためになったのか。
戦後復興からの脱出を目指した政府ですが、終戦直後の貧困、公害、労働災害、都市環境整備の遅れ、住民福祉諸施設の不足等の「現代的貧困」が深刻化。
高度経済成長における企業内での労働条件の悪化、賃金の伸び悩み、国民の体力問題も深刻化。
オリンピックの招致が国民のためになったかと言われると、良かった点もあると思いますが、この論文によると深刻化した問題がたくさんあったように思われます。
今回の2020東京オリンピックでも、さまざまな問題が取り上げられたと同時に、政治的利用に関する記事もたくさん見受けられました。
政治側からみると、国際的な大イベント、利用しないわけがないな、と思ったり。日本をアピールする絶好のチャンスですし。
今後、スポーツ業界がどのように進んでいくのか。
スポーツ業界に関わる一人として、スポーツの歴史と今後の発展について調べていきたいと思います。
伊藤申泰