ダークサイドに堕ちぬ様に
久々に、どうにも腹落ちしない出来事があったので、書く。
書いたら少しはおさまるのか。
とある年輩男性。
話のオチを、どうしても「もう歳なんだし」「そんな歳ではないでしょう」とつけたがる。
私はつい先日まで、病気や家庭の事情で仕事のキャリアを中断していたのだけれど、
「なかなかまた、自分が納得出来るまでのレベルに、コンディション整えるのは難しいですね。少しずつやっていきますよ。」
「まあ歳なんだから、無理してもしょうがない」
「ぜひまたご一緒にお仕事させて下さい、よろしくお願いします」
「そんな頑張らなくていいよ、もう歳なんだしね」
この方、つい最近に訳あって出会ったのだけれど、対面して5分で「幾つ?」と。
こちらは紹介者とともに、お金を払うお客として、件の男性のもとを訪れている。
ちょっと驚きと呆れもあり躊躇すると、一応「あ、いきなり訊いて失礼だね」と(でも質問を引っ込めることはしない)
黙殺しましたけどね、答える義務もないし。
思い出してたら、二重三重に失礼発言やな…腹立ってきた。
私の歳を知らずして、病気や仕事の話もした上で、適当な下げ発言、萎え発言が何故出来るのか。
そこに愛は、無い。
人間としてのリスペクトも、感じない。
どうしてある種の人間は、エイジズム/セクシズムに絡めて物事の決着をつけたがるのでしょうかね。
その思考回路が不明、かつデリカシーの無さに辟易。
むしろなんかそういう発言が、ウケると思ってそうな感じさえある気がする。
上記で「年配」ではなく「年輩」とわざわざ書いたのには意味があり。
私の昔からの経験では、私が実際にその時何歳かに関わらず、初対面でもこちらが明らかに若輩女性とみるや、横柄で失礼な態度に出る輩は一定数存在する。
どうも、年上男性から年下女性に対してのシチュエーションで起こりやすいみたいだ。
「どうせ女は結婚したら食べるのに困らないから、キャリアを積むとか真剣に考えてないでしょ」
「若くて可愛い女性にお茶を入れてもらったら、美味しいね」
「ちょっとちょっと、こんな大きい仕事本当に貴女に出来ますか。やめておくなら今のうちですよ。」
「いやあ、あなたもなかなか仕事できる様だけど、私なんかも出るとこ出たらすごいんですよ」
「年下の女の子が次々と結婚して、焦ってくるなあ、次はあなたの番だね」
「結婚したら旦那さんが面倒見てくれて安泰なんだから、あんまり稼ぐことなんか考えずに、もっと冒険して、勉強だと思って新しいことやってみたら」
これら全部私が今まで、実際に年上男性から言われた言葉の数々です。
被害妄想かなぁ???
私が昭和生まれだからそういう経験が多いだけで、平成以降はこういう事例は起こっていないのだろうか???
もしこちらが年下「女性」じゃなくて年下「男性」であっても、同じことを言われたんだろうか???
私も若い時は、逐一鼻息荒く憤激していたものだけれど、年齢を経ると共に丸くもなり、スルースキルもそれなりに身に付け、お触り禁止案件とは距離を置き、それなりに世の中を渡ってきましたが…
アメリカなんかでは就職の面接で、性的指向はもちろん、年齢や既婚未婚、子供の有無や家族構成などを訊くことさえ、下手すれば就職差別として裁判になりかねない、と聞いたことがある。
それくらい能力主義な訳で、それは至極真っ当なことだと感じる。
なんでもかんでも、欧米の方が進んでいるという風潮も如何か、裁判で白黒つけたら良いというものだけでは無いだろうけれども。
多様性の時代とかいうし、性別はもう、男性女性の2択に限らないわけで。そのへん私は詳しくはないけれど、そういうものでしょう。
年齢でやりたいことやできることを決めつけるのも、もはやナンセンス。
そんなことを考えている時に、仕事を再開して出向いた現場で、またもやもや。
仕事仲間と現場を訪れた先で、先方が話しかけてくるのは私ではなく男性の方へばかり…
不肖私、プロジェクトのリーダーなんですけどね。
なんだかな〜。
まあ、私は私という人間であるしかないわけで、生きていくのみである。