ねこのいとはん
父が入院した。 こうなることを恐れていた、高齢者に多い肺炎で。 幸いなことは、本人がものすごく苦しんでいる状態ではなく、また肺炎さえ治まってリハビリである程度QOLが改善されれば、また家で過ごせるとの診断がおりたことだ。 「早く家に帰りたい」不自由になった言葉で、掠れた声で言う。 …それはそうだろう、帰りたいよな。 「私も帰ってきて欲しいよ、居ないと寂しいよ」と言う。 動作や言語がゆっくりで不確実なものだから、周りとのコミュニケーションが撮りにくいのが難で。慣れない病院の
美味すぎてファーストコンタクトが衝撃だった個人的記録① 洋梨…当時まだ洋梨はあまり出回ってなかったように記憶している。完熟でトロッと甘い一切れに「ナニコレ?!」と驚いた。子供の頃通っていた個人経営の英会話教室で、英国人の先生から振る舞われた。
やる気が起きない私、怠け者な私、羨む私… それでいいんだよ。 私はもう頑張らなくていい。 楽しいことをやろう。 どう思われたっていいじゃないか。
朝の洗い物で流し台に向かっている時に、急にイメージが湧いてきた。 現場に復帰している自分の姿。 新しい企画を提案して実現している場面。 たくさんの人と出会い別れ、その中で自分のやりたかったこと、一度は諦めたことを実現している未来を。 1年前は絶望して、この世から消えてしまいたいと夢現に考えていた私。 病気でキャリアを中断して年齢とも向き合い、諦めもしたこれから。 心楽しむところから、始めていこう。
何事にも終わりは来るのだ。 楽しく心温まる時間も、苦しく悲しい忍耐の時も。
座右の銘:一生未完成
仕事は、信頼関係と優先順位。 そして何より情熱。 はい、次行ってみよう! …わかっちゃいるが、割り切り、切り替えが、情の面で辛い場合ってあるな…
難病のため、自由に動けない、ということに向き合っている父。 体は不自由であるけれども、 心と精神は何も変わらない。 毎日少しずつ少しずつ、体の動きと筋肉の力が少なくなっていることを感じている。それがどういうことなのか、私は想像してみる。怖れと寂しさと。 私もこの1年間のあいだに、手術の傷の痛みで体の動きが制限されるという経験を、人生で初めてした。 経験値として自分の生き方にプラスになっていると思いたいけれど、まだそんな気持ちの余裕もなく。 数年のウイルス禍に加え、身体の
目覚めの布団で、嘆くでもなく微笑むでもなく、穏やかな表情で「だんだん体が動かなくなる…」と呟く。 不安定な格好で、不自由な手で、朝な夕なに洗面台に向かう背中。 「時代はどんどん変化する。良いとか悪いとかではない。自分はそれについていけなくて、ぼんやりしてしまう。」と真剣な眼差しで話す。 そんな父を見つめている私。
出来ないことが足りないことがいっぱいあるんだな。 やっぱり傷ついているんだな。 弱音を吐きたいんだな。 大丈夫なふりをして平気なふりをして、過ごしてきたんだと気がついた。 なんだか少し、緩んで楽になる気がする。
夜中にこっそり独り家を抜け出してコンビニに行くのって、なんでこんなに楽しいのか…何か食べるもの飲むものを物色しているわくわく感!
悩みに悩んで気に病んで、ネガティブなイメージの中を同じ場所を、何度でも回り続ける… でもやがて、小さな湧き水やせせらぎがいずれは本流となって大海に注ぎ出ていくように、いつか必ず解放されてひとつの解決に至る。 そう思うことで救われる。流れに身を任せることができる。
今の私の気持ちはひと言「メロスは激怒した」… 権限を持つ者が、守られるべき導かれるべき者に、理不尽な力を振るって虐げている話を耳にして、とても平静では居られない。 スカパラだってそう唄っているぞ!「誰かを守るための力で/小さな希望を握りつぶすな」と。
1年ほど前の数ヶ月間の時間を、遠く朧げに感じる… 痛かった、疲れた、苦しかったような感覚はあるのだけれど。 ただただ眠りたいのに、眠れなかった。 細切れの体の安らぎ。遠くへ遠くへと彷徨い出る心。
げに麗しきは、志同じくする輩也。
久々に、どうにも腹落ちしない出来事があったので、書く。 書いたら少しはおさまるのか。 とある年輩男性。 話のオチを、どうしても「もう歳なんだし」「そんな歳ではないでしょう」とつけたがる。 私はつい先日まで、病気や家庭の事情で仕事のキャリアを中断していたのだけれど、 「なかなかまた、自分が納得出来るまでのレベルに、コンディション整えるのは難しいですね。少しずつやっていきますよ。」 「まあ歳なんだから、無理してもしょうがない」 「ぜひまたご一緒にお仕事させて下さい、よろし