お役立ち記事なんて書けない
文章を書くということは、仕事で必要でもなんでもない時点で、ものすごく個人的な行為だ。
日記。エッセイ。雑記。メモ。そういう個人的なもの。基本的に自分だけのための文章でしかない。
もちろん、インターネットに公開する以上誰かしらに読まれる可能性は頭の片隅に置いているけど、その誰かしらのために書くようなことは、していない。
たまに音楽ブログでオススメのバンドとかの話をするけど、これも完全に自分が好きなバンドのことを好き放題語りたいからやってるだけで、「知らない誰かに教えてあげたい!」「このバンドを広めてあげたい!」という純粋な気持ちは、実際のところほとんどない。そういう趣旨のことを僕がブログで語っていたとしても、それはそのとき「こう語りたい!」って思ったからべらべらしゃべってるに過ぎない。
そんなありのままの好き放題の副次的な効果として、誰かが読んでくれたり、好きなバンドの布教につながったりしたらそれはそれで嬉しいんだけど、そのために文章を書くようなことは、たぶんできない。
noteでもよく「○○をしよう」「○○になりたいなら□□をやれ」「私が○○になれた方法」というようなタイトルの、いわゆる"お役立ち記事"をよく見る。
ブログのアクセスを伸ばす定石みたいなものだし、そういう意味では100パーセント自分のための文章なんだけど、ああいう「これを読むあなたのための文章ですよ」というタイトルのものを自分も書ける気がしない。まあ記事のおさまり上、自分もそれに類するタイトルをつけることはあるけれど、「このお役立ち情報を誰かに知ってほしい」というような純粋な好意をかざして文章を書けたことなんて一度もない。
みんなそこまでのつもりでそういうタイトルを付けてるわけではないのかもしれないけど、それがにじみ出てるタイトルには、抵抗感が芽生えてしまう。特に、自分が書く文章には。
ちなみに毎日そうやってアクセスを伸ばすためにがんばってる方々に対する悪意なんてもんもないから許してほしい。引き続き誰かのためにがんばってください。僕は自分のためにもあまりがんばりたくないし、文章を書き連ねるというひたすら無益な行為を、「誰かのためにやってる」みたいな言い訳までして続けたくはない。「そんなこと誰も求めてないよ」を突きつけられたらやめたくなるようなこともしたくない。
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とかなんとか言いつつ、自分が書いたものを読んで聴いてくれた音楽が誰かの好きなものになったりしたら死ぬほど嬉しいんだけどね。
最近新曲が解禁されたからか、過去にブログで書いたOKOJOってバンドの紹介記事が最近けっこう読まれてるらしい。
【OKOJOを聴いてたら「中毒性」がなんなのかよくわからなくなった】https://ito-rock.hatenablog.com/entry/2019/01/13/214524
爽やかだけど、それだけじゃない擦れた良さのようなものもあってこれからぐんぐんくるバンドだと思うのでぜひ。
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新曲もすごく良い。再生回数も伸びてるみたいだし、嬉しい。聴いて。
最低なラブソング/OKOJO