今年学んだこと
2024年
6月 愛犬が亡くなった
7月 楽しかった仕事を辞めた
9月 愛兎が亡くなった
わたしの今年の漢字をあげるならば、「変」だろう。大きく変わった年で、大切なことを学んだ年だった。
|はじめて触れる死|
わたしは今まで誰かの死に立ち会ったことがなかった。祖母はまだ元気で、祖父はわたしが生まれる前に亡くなった。身の回りの誰かが亡くなったことがなくて、「死」というものはいつかくるものだと知っていながら、現実にはないような、なんとも言えないものだった。
愛犬と愛兎がまだ元気なとき、たまにふたりがいなくなったら…なんて考えて1人で泣くことがあった。そんな想像はしていたけれど、その時がくるようには思えなくて、というより思いたくなくて考えないようにしていた。
亡くなる前のことなど、書こうとするのは今は苦しいので省く。
愛犬が亡くなって、あぁ、本当にこんなことってあるんだ、と思った。よく言う『いつかはみんな死ぬ』を真に感じた。
|2度目の死|
愛犬が亡くなって2ヶ月半後、愛兎の呼吸がいつもと違うことに気がついた。愛犬のときに後悔したことに、「もっと早く病院に行けば良かった」というのがあったので、すぐさま病院に行った。愛兎は歳も9歳と高齢だったので、手術は勧められず、覚悟を決めて薬をあげて、酸素ハウス内で過ごさせていたが、そこから1週間ほどで亡くなった。
愛犬の死から時間がそんなにあいてなかったので、結構落ち込んだ。しかも無職期間で次の仕事を見つけなければいけないのに、もう何もする気が起きなくてしばらくベットで横になっていた。初めて泣きながらご飯を食べた。
|彼女たちが教えてくれたこと|
本当に命あるものいつかは死ぬと言うことを感じた時、全てのことに感謝した。毎日行くのは面倒だと思っていた愛犬の散歩も、爪切りも、夜中に起きておむつが漏れていないか確認するのも、たくさん面倒を見させてくれたことに感謝した。もちろん、自分や自分の大切な人が生きていることにも。
そして、自分もいつ死ぬかわからない。だから、毎日楽しく生きなきゃいけない。楽しむために生まれてきたんだから。
まだ夢に彼女たちがでてきて、泣きながら起きてしばらくしくしく泣くこともある。誰かの死に敏感になり、すぐに涙が出てくるようになった。この記事を書きながら泣き、この悲しみは長く続くのだろうなあと思う。でも、彼女たちを愛して、一緒に過ごした時間があったことに感謝している。
キキ、マロン いつもありがとう
ずっとずっと大好きだよ、愛してるよ
愛犬が亡くなったときのこと、気づいたことなど書いてあります。↓
愛兎が体調を崩して、酸素ハウスを使用したときのこと↓