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看護師なんて、なるつもりなかった。

#想像していなかった未来

わたしは今、看護師2年目として日々病棟をかけずり回らせてもらっています。

そんなわたし、実は看護師になろうなんて思ったことは一度もありませんでした。
(こんなこと言うと、受け持ち患者さんを不安にさせてしまうかもしれませんね)

みなさんは小学生や中学生のころ、「将来の夢」を題材にみんなの前で発表した経験があるのではないでしょうか。
わたしの学校では、卒業アルバムの最終ページに「将来の夢」が載せられていました。

もちろんわたしにも、「将来の夢」を発表する機会がありました。

そのときいっていたのは、「保育士」一択。
わたしは小さいころから子どもが大好きでした(もちろん今も大好き)。周囲に子どもが多い環境だったということもあると思います。子どもをあやすのも慣れていました。

だからこそ、保育士になるものだと思っていたし、天職だとも思っていました。

それがなぜ、「看護師」になったのか。

今回はこれまでの経過について、ご紹介させてください。


医療とはほど遠い家庭

医者や看護師の職業は、まとめて「医療職」といわれます。そういった職業に就く方の多くは、「両親が医療関係だから」という人が多いのではないでしょうか。

そんな中、わたしの両親は父:電気関係の技術職、母:専業主婦(子育て前はコールセンター)でした。

兄弟が多く母は育児に付きっ切り、父は朝早くから夜遅くまで働き詰めの家庭でした。年収も一般サラリーマンの平均より少し低いくらいだったので、みなさんが想像できる通り”貧乏一家”でした。

生活をするのがやっとの家庭だったので、小さいころから子どもたちは「大学には行かせられない」といわれていました。

だから、医療関係の学校なんて頭にもありませんでした。

可能性があったのが、「保育士」

その中で唯一学べる可能性があったのが「保育士」でした。子どもが好き、という単純な理由で「保育士になりたい!」と主張していたので、両親も保育の学校を探してくれていました。

その中で、2年の短期で保育士になれ、学費もそこの学校が指定する保育園へ2年勤めれば全額返済となる超好条件な保育学校を両親が紹介してくれていました。

「もうそこしかない」
わたしは自分で調べもせず、そう決めていました(当時は保育士しか選択肢がなく満足していたのもあるので、それでよかったです)。

そうしてわたしは高校2年生後期まで、その保育の学校に行くんだときめていました。

心なしか不安を抱いていた

そう納得のうえ決め込んでいたわたしですが、心のどこかで「保育士はしたい、けど給料安いっていうよな」と不安を感じていました。

というのも、実家が貧乏だったことがあり、わたしは小さなころからなにかと我慢することが多々ありました。

例えば、留学。子どものときから海外への憧れ、留学に行ってみたいという思いを強く抱いていました。しかし、当然それは不可能。お金がないと言い続けられていた家庭だったので、言葉にするまでもなく諦めとともに自分の心の奥底に秘めていました。

それだけでなく、自分の服はおさがりばかりで買ってもらったことがない、学校で必要な習字道具やリコーダーは兄からのおさがりが当たり前。そんな小さな我慢をしていた子ども時代でした。

いつからかわたしは、「将来絶対お金持ちになる!そんで好きなことを自由にする!」という野望を心に抱くようになりました。

叔母の勧め

高校2年生後期まで、わたしの将来は保育士一択でした。
そこまで決まっていたわたしが、なぜ看護師となったのか。

それは、叔母の勧めがあったからでした。

両親は医療関係ではないといいましたが、実はわたしの叔母は看護師でした(そこでつながるんかい!って感じですが…)
けっきょく医療関係の親戚がいたから、医療職の道を知ることになったんですね。

そんな看護師の叔母が、ある日わたしにこう話してくれました。
「いとは将来なにをするん?保育士?いとがそれでいいんならいいと思うけど、もし悩んでるんやったら看護師をおすすめするなぁ。なんでって看護師は給料がいいよ
と。

もちろんそれ以外にも「人の命を助ける現場やし、やりがいもあるよ」とステキな面を教えてくれましたが、当時のわたしには「給料がいい」という言葉しか響きませんんでした(笑)とんだ貧乏精神ですね。

働くならしっかりとお金を稼ぎたい、と思っていたわたしですから、正直その言葉にはすごく心を動かされました。

「給料いいんや…看護師なろっかな」
そんな単純明快な理由で、わたしは看護の道に興味を持ち始めました。

指定校推薦なら、面接だけで受かる

みなさん「指定校推薦」という受験方法をご存じでしょうか。

これは、大学が指定する高校の生徒のみに受験資格が与えられるという、いわば大学と高校の提携みたいなもんです。

よっぽどのことをしなければ落ちない、受験が早く合否がどの受験よりも早く決まるということを聞いたわたしは、その魅力に飛びつきました。

そんな指定校枠に「看護学校」があったのです。大学から貸与できる奨学金もあり、家計としてもギリギリ通える範囲の大学でした。

わたしはその瞬間、自分の進路を決定しました。

つまり、「指定校推薦で受験できて、給料の高い看護師になれる」これが、わたしの進路を決めた瞬間・心境でした。

(今になって思いますが、ほんと単純すぎ。そして本気で看護師を目指した人に失礼で申し訳ない気持ちも多少あります。しかし、これが本音でした)

看護学校での道のり

指定校推薦、受験自体は楽ですがその推薦枠は平均1~3人と、受験資格を得られる人数が決まっています。

わたしが受験しようとしていた大学も3人でした。その枠に入るためには、高校の標定で決まります。
標定とは、定期試験の獲得点数を平均したものを5点満点で抽出されます。なので、定期試験でどれだけ点数を取れるかがカギ。

もともと学業成績クラスの真ん中だったわたしは、指定校推薦を取るべく熱心に試験勉強に励むようになりました。

そうして迎えた指定校推薦枠の選抜。すでにお分かりだと思いますが、無事わたしは看護学校の指定校推薦枠を勝ち取ることができました。

(ここで余談ですが、面接の際「なぜ看護師になりたいと思ったのですか?」と聞かれたとき、もちろん「給料がいいからです」なんて答えたら指定校でさえ落とされてしまうでしょう。そう考えたわたしはこういいました。「人を助ける仕事としてやりがいがあると思ったからです」と。)

看護学校に入ってしまえば、あとは試験勉強と実習に追われる日々。バイトしつつ遊び呆けて気付けば国家試験当日を迎えていました。

そして、無事国家資格合格。ほっとしたのも束の間、わたしは看護師の本当の世界を目の当たりにすることとなります。

看護師、過酷な現実

ここで最初にお伝えしておきたいのは、看護師は決して給料が高いわけではないということ。なので、進路を給料だけで選んでしまった当時のわたしに「給料だけで選ぶなよ!」と叫んであげたいです。

なぜ世間に看護師の給料が高い、といわれるようになったのか。わたしにはわかりっこありません。調べる気もありませんが。

確かに、初任給は30万近くあったので世間の社会人1年目にしてはよい方だったのかもしれません。しかし、それまでです。

喜ぶのは1年目まで。あとは、給料と負担の大きさの釣り合わなさに疲弊する日々です。

ここで給料についての文句をいうつもりは一切ありません。そんな話しても楽しくないですからね。

ただ、「看護師」というと「どんくらいもらってんの?」とか「お給料高いんちゃうん」とかニヤニヤほざいてくる奴らには、ぜひとも口を慎めといいたい。それに見合わないくらいの重責があるんだと。

看護師という資格を手にし、いち”プロ”として働くようになってから、わたしは現実を日々たたきつけられています。

看護師は、いわば人の命を預かる現場です。だからそれにともなう責任がのしかかります。何事もなく落ち着いている日もありますが、容態が急変することも少なくありません。

ただひたすら命をつなぐため、医師の全力サポートをするのみ。急変時は原因を少しでも早くみつけて介入することで、救える命は増えます。なので、看護師が少しでも早く異常に気付く必要がある。

プレッシャーと責任とが混在した、メンタル的にやられやすい職業です。分からないことがあれば、調べる。日々が勉強の繰り返し。

なかなかにキツイ職業でした。

想像していなかった未来

ここまでの話だと、ただの「いち高校生の進路変更」という題材になってしまいそうですね(笑)まぁその通りなのですが。

ここ数年のできごとなので、今改めて看護師をしている自分を不思議に思います。やはり人生、どうなるかまったく読めません。

だからこそ、逆に起こった現実をどう捉えるかが大事なように思います。

捉え方と行動次第で自分の人生は、正解にも不正解にもなります。

これだけ看護師の苦労なところをお伝えしましたが、看護師になって後悔はしていません。むしろ、よい経験ができていると感じています。

なかなかにメンタルだけでなく、身体的にもハードな職業ですから生涯この職業に徹するつもりはありません。今後は、この経験を生かせる活動をしていこうと考えています。

いろいろ思うことはありますが、患者さんと対面で接し、患者さんの回復を支える現場ではやはり、ほかには代えがたいやりがいを実感することができます。

さまざまなことが起こる人生。ほんっとうに想像もしなかった未来が突然ふってくることもあれば、ふと気付いたらそうなっているなんてこともあります。

そんな人生をいかに楽しめるかは、その人の心次第。

ともに自分の人生を「人生ってこんなもんか」と鼻で笑って楽しんでいきましょう!


ここまでみていただき、本当にありがとうございます。

今回はこれまでの軌跡を感情とともに、ウソ偽りなく執筆させていただきました(隠してなさ過ぎて焦りますが)。

ここで書いた感情は家族はもちろん、友達とかにも話したことがない内容だったので少しワクワクしてしまいました。あー書くっていいなぁ。

日ごろは新人看護師として、日々の学びを共有しています。+α)では趣味や考えたことなどもつづっています。ぜひご興味をもっていただけた方は、新人看護師@いとのnoteをのぞいてみてくださいね!お待ちしています(^^)/

本日もみなさんにとってステキな一日となりますように!

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