祈るように生きること

昨日、深酒したために早く目覚めたのでnoteを開いてみるw

表題はなんとなく降りてきたことば。
朝はインスピレーションが深まりますね。

さて、見えないものとの暮らしを受け入れるということは、
今までとの時間の流れや、
考え方を変えていくということ。

視点を「外」から「内」に変えるのだ。

つまり、
「他人がどうしたい?
周りがあなたに対してどうして欲しい?
自分はどうやって評価されたい?」

と、言うよりも

「自分がどう在りたい?」
と、いう視点を常に持つことだ。

だから、今までとの生活のスピードがまるで変わる。

周りに流されずに自分の時間を持つ。
そのためには、全てに深呼吸が必要になる。
ヴィッパーサナ瞑想とはまさにそれだ。

ひとつひとつの物事や出来事に呼吸と意識を込める。
それは、祈りと同じ動作だ。

ほんの一時間、余計なこと考えずに
「丁寧に」
「集中して」
「祈るように」
取り組んでみると、その効果の違いははっきりわかる。

私は集中が苦手だった。
集中力散漫とよく言われたが、
なぜか、祈ることは出来た。

だから、ふと集中から離れたら
「祈る」自分を思い出す。

これは瞑想にも役立つ。

時に人は祈る詞をコーランといい、
マントラといい、
アファメーションともいう。

ことば、かたちはなんでもいいのだ、

祈る行為はどの瞬間でも神聖であり、その瞬間は「今」に「ある」
今を生き続けることが生きることの深みを感じ、
見えないものの優しさを受け取れるのだ。

今日も祈るように生きていく。
おはようございます。
夜が明けてきた。


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