春が咲いた。
20何度目かの春。
心がざわつく。突如の暑さで身体が違和感を感じてやまない。
ずっと付き合いの長い友人が引っ越した。ささやかなお別れがあった。
だけども地続きの明日には、何事もなく平然とする私がいる。
いつも通りのベールを被って、上っ面の笑顔と無関心を装う。
何度感じたかわからない、自分の内の小さな空白をぼんやり見つめる。
それを見るたんびに、やはり人間にはなれないと嘆息する。
思い出すに容易い春がある。
川沿いの桜並木。花びらが落ち切った、もはや葉桜と言える時期が好きで、川面に浮かぶ花弁が流れていくのが良かった。
小学生の頃、当時親友と自称し合う仲の子が、秘密基地だといって私を連れだってそこに案内してくれたことがある。少し頑張れば子供でも登れるような、頂上へ続く階段から少し離れた段差の多い斜面。その一角に、私とその子はコンビニで買ったお菓子を持ち寄って、小学生らしい、他愛ない話をしていた。
もうずっと昔の話である。その子とは結局、子供らしい自己主張が原因で仲違いになって、もうそれきりだ。私たち親友ね、と口癖のように言っていたけれど、人との繋がりは易々と千切れる。
あの子は自分を見て欲しがっていた。私は誰かにひっついて依存するのが楽だった。歪な関係だった。絶妙に傾き掛けたシーソーのような安定しない関係は、どちらかが動けば直ぐにでも崩れそうだった。
少女は変わっていく。だから私たちのあの関係も、きっと有限ゆえの必然だった。互いの存在が必要条件でなくなったが故に、起こったことで、いつかは来るはずだった別れ道。
どんなに時を経たとしても、春は何度だって連れてくる。いやらしい程の暖かさと、懐かしさを伴って、忘れさせるものかと私に囁く。
きっとあの春は永遠なのだ。だから忘れることができないのだ。秘密基地はもう何処だかわからなくなった。あの場所から見える、木々の隙間から覗く都心のビル群と川の桜模様が未だに脳裏にちらついている。
誰かと春の間近を迎えようとしたり、少しそれを話すたびに、私の中には川に溜まっていく散った花びらに似た何かが増えていく。積もり積もって終いには腐って汚泥となって底に溜まってゆく。
春は、過ぎ去るものでなければ迎えゆくものでもなく、言うならばそこに留まり続けるものになった。
途切れた思いも、関係も、全ては何処かで息づいている。春はまだ、終わらない。