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問題だらけのLGBT法案 日本の多様な性の歴史を”スルー”する宗教保守 なぜ日本の人権水準は遅れるのか?

 16日、LGBTなど性的少数者への理解増進法が参院本会議で、自民、公明、日本維新の会、国民民主党などの賛成多数で可決、成立した。

  法案は、性的指向にかかわらず人権を尊重し、不当な差別はあってはらないと基本理念を定める。一方で、「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」と、保守派に配慮する条項を設けた。

  ただ、この条項による多数派の名を借りた保守派が認める範囲内でしか少数者の人権が認められないとの懸念が残る。

  法律の目的は、性的指向の多様性に関する国民の理解を増進し、多様性を受け入れる「寛容な社会の実現」を掲げる。そして政府に対し、基本計画の策定や背策の実施状況を毎年公表することを義務付けた。

  理解増進法案は、与野党から計3案が国会へと提出。与党は維新と国民民主党の提案を丸のみし、修正案の共同提出で合意した。

 その際には、2021年に与野党の実務者間で合意した「性自認」の表現が、「性同一性」とも訳される英語の「ジェンダーアイデンティティ」に改められる。

  しかしながら、各地の自治体では、すでに「性自認」という用語を用いた差別禁止条約を制定しており(1)、混乱を招きかねない。

 また、性的指向の多様性に関する国民の理解が「必ずしも十分でない」との現状認識を明記し、多数派配慮の条項を新設。

  このことに対しては、LGBT法連合会など当事者団体が16日の会見で、

 「理解を進める取り組みが妨げられ、現状が後退する懸念がある」

(2)

 と抗議する。国による理解増進に関する「調査研究」という文言も、「学術研究」へと変更した。

  このことについては、自身も同性愛者であると公表している立憲民主党の石川大我参議員が、参院本会議後に、

 「差別や誤解をしている人が『不安だ』と言えば、学校教育や地域の取り組みが阻害されてしまう」

(3)

 と記者団に対し、懸念を表明する。

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日本の多様な性の歴史


 日本の”保守派”を自称するものは、この国の性的少数者への保護を確立することに抵抗し、LGBTなどの多様な性のあり方は「日本の伝統ではない」とするが、しかし実際には、日本は多様な性的文化を長い期間、受け入れてきた。

  事実、日本には中世から19世紀末にかけ、武士階級や僧侶、演劇、芸能の世界では複雑で多様な男性文化が存在してきた(4)。

 武士は結婚して子どもを持つのが一般的だったが、性的な行為を部下である男性に要求することは決してタブーではなかった。男性同士の性的関係は、仏教の僧院でも存在した。

  ただこのような男性同士の関係は、主人から期待される忠誠心の一部にすぎず、少年たちは主人から性的欲望を抱かれるものの、そこに自身の”主体性”が含まれる余地はあまりない。

  同様の関係は、17世紀に発行された40章の同性愛の物語を集めた井原西鶴の『男色大鑑』でも描かれている(5)。

 この作品は、こうした慣習を実践する人々、あるいは慣習が主流となることを阻止しようとする人々、両者を熱心に研究した学者など、数世代にわたり参照されてきている。

  同性婚の推進についての取り組みも、他の先進諸国よりも早くから行われていた。1925年、作家の吉屋信子は、他の女性と伝統的な結婚をし、関係を合法化しようと試みた。

 この試みは失敗したが、代わりにパートナーが合法的な家族となれるよう養子にした(6)。

  ただ、当時は同性愛は医学的な診断と“治療”の対象となっていた。しかし、同性間での性的な行為が禁止されたのは1872~80年のごく短期間に過ぎない。

  この半世紀で、LGBTQをめぐる社会の動きは大きく変わる。転機となったのは、1980年代のエイズの蔓延だった。 

LGBT法案に反対する日本の宗教右派

 
 このような市民レベルの動きとは対称的に、右派勢力は日本のジェンダー背策に長年にわたり反発する。

  5月に広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)で、日本は議長国として多様性の尊重を世界に発信する立場にあった。

 しかしG7で、同性婚と夫婦別姓を法的に認めず、LGBTQなど性的少数者への差別禁止法を制定していないのは日本だけだ。

  LGBT理解増進法案は東京五輪を前にした2021年、自民党内の一部の右派議員の根強い反対で国会に提出できなかった経緯がある。右派議員たちは法案の中に「差別は許されない」という文言があることを問題視し、反対した。

  LGBT法案だけはない。選択的夫婦別姓制度は、1996年に法制審議会の答申で、導入が提言されたものの、しかしその後27年間にわたり実現しせず。実現に向けた動きが起こるたび、右派の激しい反対で”ことごとく”潰されてきた。

  2020年の第5次男女共同参画基本計画では「夫婦別姓」という文言すら削除された(7)。

  1980年代は「女性の時代」といわれた。事実、男女雇用機会均等法ができ、「セクハラ」という言葉も使われ始めた。1995年の北京での世界女性会議のあと、1999年には男女共同参画社会基本法も施行される。

 しかし、それ以降はむしろ、「バックラッシュ」と呼ばれる反動の時代に突入した。

  2005年、安倍元首相や山谷えり子議員が中心となって自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を結成。これにより性教育は「行き過ぎ」などと攻撃され、日本の性教育は世界と比べ、遅れることになる。

  バックラッシュの担い手たちとなったのは、神社本庁などの宗教団体や右派団体の参加する「日本会議」だ。

 日本会議は先祖から子孫に続く「タテの関係」を重視し、イエ制度のような復古主義的な家族観を持つ。このような宗教保守勢力が右派の政治家と結びつき、LGBT法案を阻害する。

 なぜ日本の人権水準は遅れるのか?

 

 入管難民法改正案といい、今回のLGBT法案といい、問題の根底にあるのは、自民党政治家の”人権”感覚の希薄さだ。このことは、歴史的事実として如実に現れている。

  日本の人権理解は、歴史を振り返れば見えてくる。欧米の人権はキリスト教プロテスタントの影響の中で形作られた。16世紀に始まった信仰の自由を求める彼らの運動が、「神に創造された人間」として生きる権利を法的に保障する動きへと展開していく。

  しかし重要なポイントは、彼らの運動が抵抗権に支えられていたということ。抵抗権とは、君主に勝る存在(神)を根拠にした人民の権利。人民は君主に忠誠を尽くすが、非人間的な行為を強いる暴君に対しては抵抗する権利を主張する。

 これは、人間として生きる権利は、王であっても犯すことができず、違反した場合は聖書が証しする神を根拠として抵抗したのだ(8)。

  一方、日本の歴代の権力者は、この「抵抗権」に強く反発してきた。

 「豊臣秀吉はキリシタンの少女たちが寝床の相手を拒んだと聞いて驚愕した。わずか十代の娘に「No」と言わせるキリスト教の影響を恐れたのだ。秀吉はその夜バテレン追放令を発令した。徳川家康もキリシタンの側女が棄教命令を拒んだことを機に厳しいキリシタン弾圧を展開した」

(9)

  明治の時代において、一応は日本において「人権」という言葉が用いられるも、しかし、その時点でも欧米のそれと著しく異なる。

  重要なことは、身分の区別がないことが人権と呼ばれていることだ。それは天皇のおかげで確立し、徴兵を目的とする文脈で語られた。

 すなわち、日本においては、天皇の軍隊として戦うことで身分格差撤廃という人権が保障されたのにすぎない。

  日本の一部右派勢力は、戦後日本の構造を解体し、明治の時代に戻そうとする。しかし実際には、日本人の人権感覚は、いまだ明治のまま。だからこそ、このデタラメなLGBT法案がまかり通ってしまうのだ。


(1) 西日本新聞「性的少数者 置き去り LGBT法 成立」2023年6月17日付朝刊、1項

(2)西日本新聞、2023年6月17日

(3)西日本新聞、2023年6月17日

(4)Sabine Frühstück「骨抜きにされた「LGBT理解増進法」は国会と日本社会の隔絶を示している」COURRiER JAPON、Yahoo!ニュース、2023年6月21日、https://news.yahoo.co.jp/articles/0331f72fe6c969519202d4e0ce9f31118fb43746?page=1

(5)Sabine Frühstück、2023年6月21日

(6)Sabine Frühstück、2023年6月21日

(7)小国綾子「同性婚、夫婦別姓… 「変われない日本」の背後に宗教右派」毎日新聞、2023年4月11日、https://mainichi.jp/articles/20230413/k00/00m/010/074000c

(8)森島豊「日本人はなぜ「人権」をうまく理解できないのか、その歴史的理由」現代ビジネス、2020年6月28日、https://gendai.media/articles/-/73620

(9)森島豊、2020年6月28日

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