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イタリア ベルルスコーニ元首相が死去 ACミランオーナー イタリアのメディア王 数々のスキャンダル 欧州ポピュリズム政治の先駆け

 イタリアで戦後最長の9年あまりにわたり首相を務めた、シルビオ・ベルルスコーニ元首相の国葬が14日、生まれ故郷の北部ミラノの大聖堂で行われた。

  国葬には、国内外からおよそ2000人が参列し(1)、その死を悼んだ。

 ほか、親族、イタリアのメローニ首相やマッタレッラ大統領、ハンガリーのオルバン首相などおよそ2000人が参列したほか、地元の警察によると、大聖堂の周りにはおよそ1万5000人が集まったという。

  ベルルスコーニ氏は、ミラノのサン・ラッファエレ病院で死去した。4月に白血病に関係する肺感染症のため、治療を受けていた(2)。86歳。

 幾度となくスキャンダルを抱えるも”不死鳥”のようによみがえり、政権を3度握った。

  ベルルスコーニ氏を「真の友人」と呼んだロシアのプーチン大統領も、声明で哀悼の意を表明。そしてベルルスコーニ氏の「見識」と「バランスがとれ先見の明のある決断をする能力」に常に敬服してきたとした(3)。

  ”良くも悪くも”、戦後のイタリアは、ベルルスコーニ以前と以後とに分かれる。ベルルスコーニ氏は1936年、ミラノに生まれた。掃除機のセールスマンとしてキャリアをスタートし、のちに建設会社を設立。

  さらに、テレビ局、出版社、広告代理店などを傘下に収めてビジネス帝国を築き上げ、イタリア屈指の大富豪となる。

 1986年にはサッカークラブのACミランのオーナーになり破産の危機から救い国際的な知名度を獲得。1990年代になると政界に進出する。

  ベルルスコーニ氏がイタリア政治に与えた影響は計り知れない。その生きざまをみれば、トランプ元米大統領など”お子ちゃま”に見える。

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ベルルスコーニとは?

 

 ベルルスコーニ氏は1936年、ミラノの下流中流家庭に生まれる。サレジオ修道会経営の全寮制寄宿学校に入学。

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