小説 乱世幻影〜天に消える花の記〜【前編】 #天界追悼庁二次創作
『これは天界考古学の研究論文以前の、
言うなれば私が観た"幻影"の覚書き』
天界考古学者❲総合宗教史分野❳
Prof.伊月ユリカの研究より
§1.天界追悼庁長官
その者は美しい眦を吊り上げ、見下すようなそれでいて憐れむようなな面差しだ。
「なぜ…何故人同士の争いに神を掲げる。何故、人が天の代行者と騙り人を虐げる。…なんと愚かな。」
その者は人ではなかった。天使―天界追悼庁長官·ルナであった。
昨今、人界の各地で「神の名に於いて」争いや、人が人の優劣や従属の上下を強いることが多発していた。…いや、人の有史以来そんなことは絶えた試しが無いが、この頃特に酷く、とうとう人間の争いには不介入である筈の天使にまで、咆哮と怨嗟の声が聞こえて来るのだった。
天啓が下った。
新たな任務だ。天界追悼庁の天使たちは各々世界各地に赴き、人間の争いを観察すること。観察した結果、悪魔の気配があればそれを一掃すること。
ルナは天使たちに各任地を伝えると自身も席を立ち上がった。
「ワタシも出よう。」
統率する立場の長官にも単独任務が出るという事は、何らか重要な意味がある事を示している。
「その御心のままに」
憤りを冷静に鎮めるかのようにあの御方への忠義を示すと、長い銀髪を翻し執務室を出た。
◇
ルナの任地は人間歴A.D.1500年代の日本だった。
世にいう戦国時代。各地で武士が台頭し争いが絶えない時代、また一方で宗教も様々台頭し、その在り方が問われた時代でもあった。神社の神職が戦国武将となり戦い、仏教の様々な宗派で力をもつ寺院が現れ、力なき側も抗うため立ち上がり、そして海を超えてキリスト教も入ってきた。それぞれが信じる存在と救済と思惑を抱えて・・・。
空間転移先の地は戦場から離れた場所であったが、平穏とは言い難い暗く重く荒んだ気配が漂っていた。
天使は可視化(=人間の目に見える姿に変幻)して降り立つ。その際、降り立った地域・年代にある程度順応した姿が求められる。
「なるほど…このあたりの空気に僅かな気配を感じる。すぐ戦闘となる事も万が一起こりうる。まあ武装した者がいても大して不審に思われることもなさそうだ。ならば…」
天聖の威厳を表す白を基調とした衣に、この時代に沿った武装を纏い、
天使は降り立った・・・。
§2.白天狗様と於ユキ
「あ・・・あなたは白い天狗さまッ?!」
ふいに花が咲いたような澄んだ声がした。
(!!…可視化の瞬間を見られたか?!人気の無い場所を選んだつもりだったが。)
ルナが振り返ると、山菜採りに野山に入ったのであろう年二十(はたち)くらい女が、山菜の入った笊を取り落とし立っていた。声の主らしい、可憐な容貌の女だった。そしてその顔の左側、頬にある大きな傷跡につい視線が引き付けられる。
しかし、当の本人は今目の前に光の粒子と共に現れた天狗様?に心奪われている。怖気るそぶりもなく、ルナに近づく。
「ね、ねぇ!あなたは白天狗様よね?しかもきっと良い天狗様ね!今日は良い日だわ、貴方に祈っていい。」
祈られるのは天使として慣れているが、天狗様だから祈るという理屈に出会うのはルナも初めてである。滅多に動揺しないルナだが可視化を目撃されてからの一方的な詰問、そして更に勝手に祈ろうとする流れには、さすがに僅かに小首を傾げた。
が、この女はお構いなしである。
「小柴村在、於ユキと申します。白天狗様、いつかきっと妹のイツに会えますように。」
熱心に首を垂れ手を合わせていた。その姿にルナも警戒する必要は皆無と思い、穏やかに声を掛けた。
「会えたら良いな。ワタシも願っておこう…於ユキ」
その声に於ユキは顔を上げ、満開の笑みを向けた。
◇
「しかし…どうしてワタシをその…天狗…と?」
「はい!私、小さいころから妖が大好きなんです!そうそう昔、夜のお寺でお狐様にも会ったことがあるんですよ。その時のお狐さまと貴方様がとってもそっくりで、はじめはあの時のお狐様だ!って思ったんですけど、でも大きな白い羽が見えた気がしたから、あ!天狗様だって。」
天使の羽根やほか人間と異なる身体的特徴は可視化の瞬間に消えるのだが、一瞬の残像を見られたようだった。しかしそれは、この時代の殊この於ユキに限っては良い意味での解釈で納得されており、面倒なことにはならなさそうだった。
「ほお…似ているのかその狐と。」
「はい!綺麗なお顔とか、見たこともない飾りがついたお召し物とか、強そうな感じとか、ちょっと怖い感じとか、私たち人が知らない何かもお見通しな雰囲気とか…妖ってやっぱり不思議です!そして何か懐かしいです。」
さっき取り落とした山菜を手早く笊に拾いながら、於ユキは話す。ルナも成り行きで拾いながら、彼女の紅潮し早口気味の言に耳を傾ける。拾い終わり、立ちあがると於ユキはさっきと打って変わって不安な表情で周囲をきょろきょろと見回し、そして項垂れてしまった。
「……どうした?」
「あの…天狗様、もう一つ願いをいいですか?」
「なんだ。」
「えっと…道に迷った私をお助けください。」
「は。」
於ユキの元来た道を探しながら、ルナは彼女の生い立ちを知った。
生まれは神楽舞いの旅芸人の娘だったが、母親は流行り病で死亡、父親も旅の途中賊に襲われ怪我を死亡。幼くして姉妹で生きていく事になる。幸い母親の姉…つまり於ユキたちの伯母が、健在であったためしばらくは伯母の下で平穏に暮らしていたが、ある日その暮らしに変化が訪れる。両親の組していた旅芸人一座が姉妹を神楽舞いの後継者として、引き取り養育したいと申し出たのだった。「親の後を継ぐ」という言葉は姉妹にとって熱く、また ”そうあらねば”と思わせる重い響きだった。その時伯母は強く反対したが、姉妹はかつて両親のいた一座に入った。
「神楽舞いの修行はとても厳しかったけど、二人で励まし合い上達が楽しかったんです。妹はとっても綺麗で可愛くて、私はその隣で舞っていられるのが幸せでした。…でも…」
しばらくは二人一緒で舞踊の場に立っていたが次第に、別々の組で別々の場に赴く事が増えた。
「何人も芸人を抱える大所帯の一座なので、それはよくあること。しかたのないことだったんですよね、でもあの日そうじゃなかったら…って思っちゃうんです。」
”あの日”とはある大嵐の日の事、妹の組は呼ばれた先から帰路に向かう道中、川の増水で足止めをくらいそのまま消息をたったのだった。そしてそれ以上の事は分からないのだという。
「妹が消えて私はテンで駄目に…だからこんなケガまでしちゃって…しかたないですよね」
寝ても覚めても妹が気がかりで、舞いに身が入らなくなった。町で宴席でどこかに妹がいないか探してしまう。稽古に集中できず舞い姿が明らかに衰えた。それは眼の肥えた贔屓を苛立たせてしまうほどに。
「ユキめ…しみったれた舞いばかり!!全く面白くないのォ!」
ある贔屓客の席で、酔って激昂した客が於ユキに斬りかかり、その白刃が頬を舐めた。
女舞人の顔は一番の売り物である。舞いが衰え売り物がキズ物になった於ユキに旅一座の中での居場所は無かった。ひっそり伯母の元に帰る事になったのだった。
伯母は帰ってきた姪を優しく迎え入れ、程なくして知人づてに縁談を用意し於ユキを嫁がせてくれた。しかしながら結婚も3年と続かなかった。
「子が持てなかったり、夫となった人が戦で死んじゃったり…なんかもう、いろいろしかたないですよね。」
努めて明るく言う於ユキだった。結局今は伯母の家に戻り静かに暮らしているとのことだった。
◇
そんな一連の話を聞くうちに、人里に続く道と田畑、そして畔で話す人影が見えてきた。
「あ、そうそう!この道でした!ありがとうございます。白天狗様。」
「あ…いや、ワタシは別に何も。」
「いいえ!私助かりました。天狗様は、人里はお入りにならないでしょ?
ではこれで、ごめんくださいまし。」
元舞い人らしい軽やかで優雅なお辞儀と足取りで、娘は里へと帰っていった。それは天使の心にも清々しいと感じる様で、ルナの顔も(ごく)少しだけ柔らいだ。
(この時場の座標にとどまっても、掴める物はなさそうだ…何かが引っかかるが、厳密な座標を突き止めないと判らんな。これ以上ここの人間と接触する前に少し移動しよう。)
家路に向かう於ユキがすれ違った、畦道の村人の話し声が聞こえた。
「戦に出ているウチの殿様の軍勢はどうやら負けそうだ。」
【中編に続く】 著・青海ゆえ 2023年