腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO. 90 今日は考えたい日。
ここのところ、ずーっと、気持ち上向き、色々考えながらも、割と前向きな日を送ってきたような気はする。
と言っても、土日が来るたびに色々な思いはある。
腹鳴恐怖症と、はっきりわかるまでは、自分にモヤがかかっていて、気持ちも人よりも何歩も引いていた。
そんな事を40年も続けてきて、今はすっかりモヤも晴れて、気分が良い日を過ごせているし、ここのところ、やりたい事をやっているので、割と充実した日々を送っている。
でも、今日は、何となく、ただ、何となく、考えたい日というのか、かと言って、すごく落ち込んでいるわけでもない。
頭のどここで、気になることがあれば、なんとなく気がかりで、テンション低めになる。
恐らく、それも当たり前のことだろうけど。
今日は思ったように時間が使えなかったのもある。
仕事をしてない私は、仕事はしてないのだけど、毎日、今日はこれとこれとこれと、大まかにはやる事を決める。
朝から、お墓の掃除に行ったら、思いの外、散らかっていたし、草も生い茂っていた。
恐らく、昨日、風が強かったから、落ち葉も沢山落ちたのだろうけど。
時間も大幅にづれてしまった。
用事を済ませ、近くのスーパーに行くと、久しぶりに知り合いに会った。
娘が中学になるときに、色々なお下がりをあげるからって話をしたり、色々と話をした。
長男が、3歳の時から知ってる人で、同じ地域に住んでるので、こんな私にも親切にしてくれるとても良い人だ。
お墓の掃除に時間かかったから、久しぶり出会えたのだろう。
うちとは、かなり違う環境なので、この方は、本当に、存在価値でみてくれているといつも思う。
本当に良い人。
誰にでも優しくていつも、素晴らしい人だと思う。
前向きに頑張ろうと思っていても、たまには気を緩めることも大事だし、考えても良いと思う、悩むことは、誰しもあることで、明るくしている人に限って、そんな悩みを持っていたのか、いつも明るくて意外だと思うことがよくある。
考えることは悪いことではない。
悩むことが悪いと思わず、悩む自分も受け容れると、とらわれることはない。
とらわれなければ良い。
人生、苦と楽が交互にやってくる、いかなる時も、掴まずに、水のように生きる、そう教えてもらった、今、noteを書きながら思いだした。
そしてまた、明日から、前向きになれそうだ。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^