貧弱な肩を抱かれて
ダークブラウンのマスカラを重ね塗りする。
私の意志がはっきりと伝わるように。
アプリコットのリップカラーを重ね塗りする。
この体に少しでも勇気を挿すように。
22時の洗面台に、何度も何度も溜め息が響く。重い不安感に押し潰されゆく肺に、なんとか酸素を入れようとする。
23時には、インタビューが始まる。
丨
六月。夜中眠れずスクロールするnoteのタイムラインで、私の人差し指がぴたと止まった。
「人生での選択」
私の唇は静かにその文字をなぞった。
丸い枠の中から放たれ、この部屋に充満していく光。たなかともこさんのアイコンだ。
私はそっと画面に触れた。
その中に佇んでいたのは、「選択のあとに」というどっしりと微動だにしない強さをもつ言葉。「選択」という語よりも、「のあとに」から目が離れられなくなった。
ふんわりと柔らかな空気の中に、どん、と一本打たれた太い杭を見たような気がした。
読み進めながら、私の脳はぼんやりと、そして徐々にその解像度を上げながら、最後ははっきりとある映像を映し出した。
若かりし二人の姿。
私は自身の「結婚」について書こうと決めた。
しかし、次の瞬間飛び込んできたある言葉に、心臓がどくんと波打つ。
「インタビューさせてください」
この企画は、noteを投稿するだけでは終わらない、「書く」と「話す」がセットになったものだった。
丨
私がなぜ書くか。
それは、私が話せない人間だからだ。
人と話すことが、極度の緊張と不安を引き起こし、思っていることの半分も言えずに終わる。
言えなかったこと、言いたかったこと、言ってしまったこと、会話のあとは後悔しか残らない。
胸の奥に広がっていく後悔の暗雲を、何度も溜め息で吹き飛ばして、それでもまたどんどんと膨らんでいくそれにやるせなくなる。
話すことは恐怖でしかない。
私は、膨らみかけたnoteのイメージをそっと脇に置いた。まるで、手に取った筆をやはり机の上に置くように。
「書く」が、「話す」に呑み込まれていく。
諦めきれずになぞる画面。今度は違う箇所に目が留まる。
「最悪、チャットで会話をさせて頂ければ」
その一文、その「チャット」の箇所に光を見出し、私は机上に置いた筆を取り直した。
「話す」から目を背けて、私はぐんぐんと書いた。
私にできるのは書くことだけで、私はぐんぐんと書いた。
出来上がったのはこのnoteだった。
これまで、惨めだから、と結婚生活を話そうとしなかった、話せずに来た私が、ここで全てを書ききった。
丨
「最近よく耳にするアレ」と遠巻きに見ていたZOOMの文字がホーム画面にぽこんと浮かぶ。まるで所在無さげに。
時刻はもうすぐ約束の23時。
訳も分からず焦燥感の中ZOOMの世界をさまよっていると、パッと画面が色づいた。
ビッグスマイル、包み込む声。
私の気持ちはスッと彼女に吸い付いた。
私が書くのは、話せないから。
何度も一文を行ったり来たりして、よりこの感情に近い言葉を選び直して、より伝わりやすい表現に書き直して、やっと世に送り出す。
その工程を、トントン走る「喋り」のスピードの中でできるはずが無い。
早く話さなきゃ、待たせないようにしなきゃと焦ってとうとうただのコトバが出てくる。
もっとこの気持ちに沿う言葉を探したいのに、それだと会話が成り立たない。
そんなもどかしさや恐怖心を全て理解しているかのように、ともこさんは私の瞳に語りかけた。しっかりと。私の拙い表現のみを読むのではなく、私の瞳を読んでいた。
私があのnoteを書いた理由は、この瞬間のためだったのかもしれない、と感じた。
本当はこうして聞いてほしかったのかもしれない。
本当はこうして伝えたかったのかもしれない。
まっさらな、でもふんわりと広がるアイボリーのような空気が、海を超えて、このスマホの液晶から私の体に流れ込む。
きっとこの色は、私を「知ろう」として、全てを「受け止めよう」とする彼女の姿勢なのだろう。
とても柔らかな潔い色をしていた。
丨
スマホを置いて、メイクを落とし、着替え終わってベッドに潜る。
恐怖はこれからだ。
言えなかったこと、言いたかったこと、言ってしまったこと、会話のあとは後悔しか残らない。
もやもやと広がる暗雲に、きっと私は寝付けなくなる。きっと、溜め息の中、ぐるぐると苦悩し始める。
エアコンの微かな音に息子の寝息が混ざっていった。
暗闇に、あのアイボリーが溶けていった。
私はすとーんと眠りに落ちてしまったようだ。
いとも簡単に。
いつの間にか。
それは深い眠りだった。
貪欲に。
夢も見ずに。
受け止めてもらえる安心感は想像よりも深かったようだ。
起き抜けに見た朝日は白く眩しく柔らかくて、この貧弱な肩には、ともこさんにしっかりと抱かれた感触が確かに残っていた。
ともこさん、お声がけいただき、どうもありがとうございました。公開まで、緊張の日々です。