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卵焼きがすき

私が最後の晩餐に3つ好きなものを挙げろと言われたら、
2つは色々理由をつけて悩むだろうが、1つだけ、決まっているものがある。高校3年間でお世話になった、母の潰れた卵焼きだ。

母は非常にせっかちな人で、それが良く料理に反映されていた。
中華料理は得意だが、ホットケーキは強火で焼いて焦がした。中を割ったら、綺麗な生焼けだった。
本人も「私はせっかちだからどうにも菓子作りはダメ」とよく言っていた。だから、彼女の卵焼きも非常にせっかちだった。
専用のフライパンでくるくる回して作るくせに、あんまりに待てない人だから、まだ液状の早すぎる卵が、くるくる回っていく。液体を回せるなんて、いっそ器用だとも思う。
案の定、きちんと層になったところは見たことがない。
どうにも美味しくなさそうに書いてしまったが、この薄くぺしゃん…としたシワだらけの卵焼き、ちゃんと美味しいのである。強火だから表面がかりっとしていて、中がいい具合にふわふわで、思ったより多く砂糖が入っていて、とっても甘かった。食感や味はフレンチトーストに近いかもしれない。
たまにチーズや桜エビなんか入っていて、かわいいのである。


高校生の私は電車通学で、「5時電」と呼ばれる始発電車に乗らないと遅刻してしまうという、本当に理不尽な遠方に住んでいた。
高校から家がもう少し近ければ、電車があと30分遅ければ、母親も仕事前にのんびりお弁当を作れただろう。それでも彼女は可能な限り毎日作ってくれた。(早く寝たい、というのもおそらくせっかちに拍車をかけていたのかもしれない。)
基本的に仲よろしくない母親だが、お弁当の件だけは感謝している。
3時にトイレに起きてしまって、4時にお弁当のために起きて、わずかな仮眠をとって6時に起き直す母に、未だに「あの時は申し訳なかったな」、なんて思っている。
更に申し訳ないことに、私は本当に朝が苦手な子どもだった。
毎朝5時に起きて、栄養バランスが取れた朝食なんて食べられたことがない。食生活については、かなりの高頻度で怒られた。それでも直しようがないくらい意識は朦朧としていて、着替えするのがやっと。
少しでも脳みそに情報を入れようと、テレホンショッピングしかやっていないテレビをつけるが、耳に入れど脳みそまで情報が行かない。
諦めた母は小さい小皿に、ほうれん草のお浸しと、ぺそんとした情けない卵焼きの端っこ、いわゆる「お弁当のあまり」を私のご飯にしていた。
お弁当たちのはじっこだ。
これはやる気のない朝の胃袋に適材適所で、甘い卵焼きをじゅわっとかじると、なんかうまい。糖分でようやく頭が回り始めるのである。

そして昼食。卵焼きのど真ん中ははじっこより大きい。ちょっと嬉しい。
朝食べたはずの同じものをもう一回、たべて、「ああ、卵焼きうまいな」と新鮮な気持ちで咀嚼した。もやしのナムルも、ほうれん草のお浸しも、今日の運勢が書いてあるえびグラタンよりも、このカリカリぺそぺその卵焼きは美味しい。私はお弁当の中で卵焼きが一番好きだった。放課後もまっすぐ帰れず、大学受験を控えた補修、というのがあったので、私はお弁当の卵をひと切れ、夕方まで残していた。受験生にはありがたいことに、糖分があるとちゃんと頭が回るもので、こっそり食べた。
「朝のやつも、もうちょっと味わって食べたらよかった」
これを飽きもせず毎日思っていた。そして朝には忘れている。味わう前に3年間の学生生活が終わった。

そして10数年。
ずいぶんご無沙汰になった卵焼きだったが、ふと、作ってみたくなった、
普段弱火しか使わない私は気合を入れてレバーを最大火力にする。不器用な卵焼きを再現するほうが、正攻法より難しいとはなんなのだ。しょうがないよね、その不器用な卵焼きで育ったんだから。私はニヤっとした。
油を敷いて、予想よりはるかに多い砂糖を卵液にぶちこんだ。かきまぜる。じゃりじゃりじゃりじゃり。砂糖が融けていく。
あとはじゅっとしてくるくる、じゅっとしてくるくる。繰り返す。
それでも私は母よりだいぶ手際が悪いのか、スピードが遅いのか、あの頃よりだいぶ分厚い卵焼きになった。表面がかりかりの、もろもろ崩れる卵焼きだった。どうやらあの無愛想な卵焼きにも、適切な火加減とスピードがあるらしい。師匠には及ばないが、カリカリのそれはかじると変わらず、じゅわっとした。

#元気をもらったあの食事

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