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淡泊で平凡な日常を味わうこと

今日の言葉

菜根譚より引用

前段7)真味は淡味、非凡は平凡
濃い酒、肥えた肉、辛いもの、甘いものなどは、人が好んで飲食するが、これは偏味であって、ほんものの味ではない。真の味は、米の飯や水の如く、濃厚美味なものでなく、ただ極めて淡泊なもので、この淡味が味の極致なのである。これと同じように、神変不可思議なことを表わしたり、常人と異なったふるまいをするのは、奇人・変人であって、道を極めた至人とはいえない。道の人は、奇異な言動もなく、ただ至極平凡な普通一般の人である。 つまり、至人は偉大なる凡人といえる。

【引用元 講談社 菜根譚 著 久須本文雄】

淡泊で平凡な日常を味わうこと

一般的に、「美味しいもの」といえば濃い味のものが多く、「楽しみ」というと刺激的で非日常的なものばかりを求めがちです。

しかし、『菜根譚』は、米や水のような淡泊なもの、平凡なものこそが、その道の極致だと説いています。

真の味を極めた人は、濃淡両方の味を理解した上で、むしろ淡泊なものを好むのです。

道を極めた人は、贅沢で華やかな生活を知りながらも、平凡な日常の中に「楽しみ」を見いだすことができます。

人生の生き方も同じことが言えます。

近年は「インスタ映え」を求めて、華やかで豪華な物事が「良いこと」とされています。しかし、それだけでは本当の精神的な豊かさは得られません。

真の精神的な豊かさとは、華やかな生活の価値を理解しながらも、淡泊な味わいや平凡な日常の中に見出すものなのです。

私たちも、至って平凡な日常に潜む淡泊な味わいに、もっと意識を向けていきたいものです。

菜根譚前段「真味は淡味、非凡は平凡」を読んで、そう感じました。

オススメの本

※ブログで紹介した久須本文雄著の『菜根譚』は絶版のため、岩波文庫の菜根譚のリンクとなります。


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