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天理と人欲

今日の言葉

菜根譚より引用

前段74)天理と人欲
天地自然の大道というものは、極めてゆったりと広いものであるから、少しでもそこに心 を遊ばせたならば、気持がおのずから大らかに明るくなってくるのが感ぜられる。これに反 して、欲望の道というものは、非常に狭くてゆとりが無いので、少しでもそれに足をふみ入 れたならば、そこにはいばらやぬかるみのような障害があって、苦境におち入るものであ る

【引用元 講談社 菜根譚 著 久須本文雄】


天理と人欲

高層ビルの最上階から景色を眺めたとき「いい眺め」と感じることはあっても、心が真に解放されることは少ないものです。

一方、山頂に立って周囲の景色を眺めると、ふっと心が軽くなる瞬間があります。

高層ビルの最上階と山の頂上—この二つの違いは何でしょうか。

まず、頂上に至るまでのプロセスが異なります。

エレベーターで最上階に行くのと、自らの足で頂に立つのでは、得られる達成感が全く違うのです。

次に空気感の違いがあります。

ビルの人工的に調整された空気に比べ、自然の空気や風の流れは格別な心地よさがあります。

そして、どれほど建築技術が発達しても、自然の美しさには及びません。

これら3つの要素が、同じ「頂上」でも心の解放感に違いをもたらすのだと思います。

このように考えると、天理の流れに身と心を合わせ方が、心は解放感を味わえます。

一方、人欲の流れに身と心を合わせると、心は小さく縮まっていき、その結果としてぬかるみにハマることがあるのだと思います。

天理は時として自然災害ももたらすので、全てを天理の流れに任せることはできません。

しかし、人欲の流れに疲れたときこそ、天理に身と心を委ねることも必要なのではないでしょうか。

菜根譚前段「天理と人欲」を読んで、そう感じました。

オススメの本

※ブログで紹介した久須本文雄著の『菜根譚』は絶版のため、岩波文庫の菜根譚のリンクとなります。


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