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私、イチミ株式会社の取締役に就任します。

大学の決め手は”家が近いから”。
僕をよく表している言葉です。

これまで、姉と約20歳離れていること以外特に変わったことのない家で僕は生きてきました。

小学校は地元だから、中学校は、親に言われるがまま中学受験をしたものの落ちたので地元の中学校へ、英会話を受けていたことから、他の教科より英語が得意だったので、国際系の高校へ、高校が家から遠くてもう長い移動時間が嫌になり、大学は家に近いところに。基本的に大きな人生の決断の時は特に何も考えずに決断してきました。

これで普段の生活が身の入ったものだったら良いのですが、そんなことはなくずっとぼーっと自分が思うままに将来のことを考えず、過ごしていました。

そんな自分がどういった経緯でイチミの取締役に就任することになったのか。イチミの取締役として何を成し遂げてるのか。
そんなことを書いていく、自分語り兼決意表明のnoteです。

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今の自分に至るに辺り、重要な分岐点になったのが大学生活での出来事です。なので、今回は大学生活に絞り書いていきます。

①友人との出会い

家が近いからと大学を選んだ僕は、取り敢えずオリエンで紹介されていた、学部直属の学生団体に入りました。そこで、親友となり、一緒に起業を志すこととなる、橋本と出会いました。

僕のいた学生団体では、各々が団体内で有志を集いプロジェクトを立ち上げ、活動をする団体でした。そこでたまたま最初のプロジェクトで一緒になったのが橋本で、活動をしているうちに意気投合し、1つ目のプロジェクトが終わった後も何個もプロジェクトを一緒に立ち上げました。

ラジオCMのコンテストに出たり、大学で浴衣デーを開催したり、まちづくり系のコンテストに出たり、色々やりました。しかし大学直属の団体だったこともあり、プロジェクトを通し、金銭が発生する活動をすることはできませんでした。その為、学生団体の外で何かしたいと思うようになり、起業を志していきます。

②起業しよう

私がいた学部では半年間、マレーシアかタイへ留学に行くことが義務つけられていました。僕は2年生の8月からタイへと留学しました。橋本一緒でした。

留学に行く時点で「一緒に何か事業をしたいね」と、橋本ともう一人、学生団体での活動で一緒になった友人と話していたので、どういうことをしようかと話し合っていました。

しかし留学の期間中に何をするかが決まることはありませんでした。
ただやりたいなという気持ちは残っていたので帰国後も話していました。

帰国した後、2年生の1月にやっとこれだというものが決まりました。
それがタイ人大学生向け、ベルトのオーダーメイド事業です。

・タイの大学では制服の着用義務が残っているところが多い
・制服を着ていては自己表現をする場所はカバンかベルトくらいしかない
・タイで大学に通う学生は富裕層の方が多い

これはいけるとまじで思いました。
そこですぐに始めれば良かったのですが、あまちゃんで決断のできない僕は、事業の壁打ちを無料で行ってくださる方に相談へいきました。

そこで、「学生起業なんだから元手がかからないものをやるべき。今の事業案はセンスないね。」と言って頂きました。

ただたった一人に言われただけで、ベルトは今じゃないね、別のお金がなくてもできるサービスをしようとなりました。

そこで次に考えたのがデートコースの自動リコメンドサービスでした。

③インターンを始めよう

サービスを作ることが決まったのは良いものの誰もプログラミングができませんでした。そこで自分がエンジニアになると決め、スクールへ通い始めました。

ただ通っているうちに実務経験を積まないと何も意味がないと思い、未経験でも受け入れてくれるインターン先を探し、見つかったのがイチミの親会社である、LOGZGROUP株式会社でした。

インターンを始めた僕は、LPの制作業務などのエンジニア以外の業務、就労移行支援事業所のお手伝いをしていました。

インターンを始めたは良いものの、友人たちとの事業は殆ど進まず、一人が抜けることとなりました。残された橋本と僕は、エンジニア志望の友人を大越を誘うことにしました。

そこからは何もできないなりに、サービスサイトを作ってみたり、6畳ワンルームの部屋にシェアハウスを始めたりしました。インターン先から、バナーの制作やWantedlyの代行業務を業務委託という形でさせてもらいました。

ただ、事業は進んでいるようで殆ど進んでいませんでした。

④イチミか友達か

中途半端なまま、いよいよ大学4年生の8月まできてしまいました。
周りの同級生の殆どが就職先が決まり、時期的に就職をするのか、起業をするのかいよいよ決断しなくてはいけないところまできていました。

橋本は事業をやりきりたい。大越はエンジニアとして就職し、働きながら、事業に関わりたい。自分はまたどの選択肢にして良いか決断できずにいました。

そんな時、親会社の社長から、「子会社の役員をやらないか」とお声がけをさせてもらいました。非常に嬉しかったのを覚えています。

しかし、ここで子会社を選んでは、これまで一緒にやってきた橋本と大越を裏切ることになります。

どうするかを非常に考えました。橋本と大越と一緒に事業をやりたいけど、やろうとしている事業が本当に3人でやり切りたい事業なのかと言われたら違うし、今の3人の状態は非常に中途半端でこのままやってもうまくいかないだろう。それならば、今子会社で力をつけ、本当に3人でやりたい事業ができたときに、その実現可能性と、届けられる幅を広げようと、自分なりに結論を出しました。

取締役に誘われたこと、始めたら事業にコミットができなくなることを二人に伝えました。しかし、何故か3人でいつかやりたいとは伝えることはしませんでした。それを言うのは自分勝手すぎる気がして。

心のどこかでは引っかかりながらも、僕はイチミの取締役になりました。 

⑤正直な気持ちをつたえる

正直心に引っかかりがある中での仕事をすることは非常に苦しいものがありました。中途半端な自分でいることに、LOGZの皆さんにも、イチミの皆にも、橋本にも大越にも、申し訳なさを感じていました。

橋本と大越に、その時にどう思っていたのか、これからどうしたいのかを伝えなくてはこれ以上先には進めないと思い、改めて話す場を作ってもらい、自分の正直な気持ちを伝えました。

いつか絶対に3人で事業をやりたい。

二人も正直にその時良くないと思っていたこと、
事業はやりたいと思っていること、
俺がイチミで成長することが何よりも嬉しいし、それでその時の選択が正解になるということを伝えてくれました。

イチミで成し遂げたいこと

自分にはこの業界、ジャンル、やり方で何かをしたいということは今はありません。しかしイチミの取締役として、会社を大きくすること、インターン生の自己実現にコミットすること、自分みたいに"起業"がしたいだけで、動けない人に、自分はそんな状況からここまでなれたと説得力をもって伝えられるように、助けられなるようになる。

毎日不甲斐なさを感じるばかりですが、一歩一歩進んでいきます。

色々とざっくり書いたのでまだまだ書きたいことはたくさんありますが、それはまた別の機会にかけたらと思っています。


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