イト―

遠い昔に自転車で世界一周をしたような、していないような。おぼろげな記憶でしたためる旅の回顧録です。

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遠い昔に自転車で世界一周をしたような、していないような。おぼろげな記憶でしたためる旅の回顧録です。

最近の記事

第52話アジアンハイウェイ

「これは、あなたの自転車ですか?」 プサン発福岡行きのフェリーターミナルで、ユンさんという男の人に話かけられた。森本レオにそっくりな、優しそうなたれ目の男だった。こんな風に声をかけられるのはいったいいつ振りだろう。 韓国まで来ると、もうほとんど日本と変わり映えしない街並や景色は、あらゆるものが落ち着くところに落ち着いて、喧騒はどこにも見当たらない。人も他人に関心を寄せるということもほとんどなくなった。もはやエンドロールとも言えない最終ステージを淡々と走り抜けてきただけに、最

    • 第27話 最果てのご褒美

      「お、自転車かい?パン屋はあっちだよ。」 「パン屋だろ?まっすぐ行ったところさ」 自転車旅行者と見るや、こちらが聞いていないにも関わらずパン屋を案内される不思議な街がある。 フエゴ島のトルウインという小さな街のことだ。この街のパン屋では自転車旅行者を受け入れていて、泊めてもらうことが出来るそうだ。南米のゴール、ウシュアイアまであと一〇〇キロという位置柄、すれ違うチャリダーたちからこのパン屋の噂はよく耳にしていたが、こうして街の人々に知られているまでに有名ということには少々驚い

      • 第26話 チャリダー天国

        チリ富士とも言われる見事な三角錐をしたビジャリカ山の頂上に立つと、足元にいくつかの湖と深緑色した森が広がっていた。この湖水地方のすぐ先はいよいよパタゴニア地方である。いよいよ南米の旅もラストステージに足を踏み入れようとしている。 チリ・アルゼンチンに跨る南緯四〇度以南の地域を総称するパタゴニアは、遮るものがない荒野に暴風が吹き荒ぶ風の大地とも言われているが、実はあれはアルゼンチン側のことであって、チリ側とは大きく性格が異なっている。 アルゼンチン側が激しく乾燥した大地になって

        • 第24話 マテ茶の国境

          チリ入国後すぐ、再びアンデス山脈を越えてアルゼンチンに入った。 「アンデスを越えて」などとさらりと書いたが、実際は五日もかかっている。いやしかし、こう何度もアンデスを右往左往していると、「ちょっとそこまで」ぐらいの感覚に陥っている自分がいたりもする。要するに頭がオカシクなりつつあるのだ。 アルゼンチンの国土を南北に貫く道のルタ40(クワレンタ)に沿って南下する。道沿いにはカラフルな岩石層がむき出しになった渓谷や、荒ぶる赤茶や肌色の大地がどこまでも続く。 厳しい土地なのかと思い

          第23話 南米最悪のひどい道

          「ボリビアで最も走りやすい道は乾季のウユニ塩湖である」という皮肉があるそうだ。 南米で最も貧しい国であるボリビアはインフラ整備が遅れていて、幹線道路であっても未舗装の箇所が今もあちこちに残っている。それもほとんど手入れがされていない未舗装路だから、車のタイヤが地面を削って、洗濯板状にでこぼこの畝が連なる道が延々と伸びているという具合だ。 だからフラットな白い塩原が広がるウユニ塩湖がボリビア一の道というのもあながち嘘ではない。ただし、これにも注釈が付く。 僕はウユニ塩湖を自転車

          第23話 南米最悪のひどい道

          第22話 もう一つのアグアスカリエンテス

          僕がメキシコで長期滞在した街の名前はアグアスカリエンテスだったが、この言葉の意味は「熱い水」、すなわち温泉を示す。 実は中南米にはこの手の名前がけっこう色んなところにあって、そういう場所は大抵温泉があったりする。事実、マチュピチュの拠点となる村は今でこそマチュピチュ村と呼ばれているが、昔はアグアスカリエンテス村という名前で、山間に小さな温泉が湧いている。観光客が溢れかえって、今ではただの汚い温水プールだと聞いていたので僕は行かなかったのだが。 それに実はこの先、クスコとチチカ

          第22話 もう一つのアグアスカリエンテス

          第21話 赤茶色の古都

          モトミくんと再会をしたこの街からクスコまでは約二〇〇キロ。あと三日、四日あれば到着出来そうな距離だ。その夜、僕らはクスコに着いたらまず何をするか?という話題で持ちきりだった。 「そうっすねぇ、カツ丼が食いたいっす。僕」 「いいねぇ。それからたっぷりのホットシャワー浴びて、洗濯もしたいよなぁ」 「それも捨て難い!あ、あと僕、誕生日もうすぐなんで、何か御馳走して下さいよ」 「それは考えておく」 クスコに着いたら、というよりももうクスコに着いているような気分で話が盛り上がっていた。

          第21話 赤茶色の古都

          第20話 ビクーニャが原のフェルナンド

          ブブブ…と上空を飛ぶセスナのプロペラ音が聞こえる。ここはペルー中南部のナスカ。かの有名な地上絵を見るためのツアーセスナが空を旋回しているのだ。そして同時に乾燥した砂漠の上にちらほらと十字架が目立つようになってきた。これが誰のものかは明白で、どれもこれも墜落したセスナの人たちを祭ったものである。 「いくら何でも落ち過ぎだろう…」 ただでさえ乗り物に酔いやすいのだ、落ちなくても地獄、落ちても地獄の地上絵をわざわざ見る必要はないだろう。だいたい、僕は数年前に東京国立博物館で開催され

          第20話 ビクーニャが原のフェルナンド

          第19話 世界で一番高い火山

           寝袋からひょこっと出した顔に冷気を感じて目が覚めた。びゅうびゅうと獰猛な風の音が真っ暗な窓ガラスの向こうから聞こえてくる。かなり深い眠りについていたように思うが今は何時だろう。時計に目をやるとまだ午後九時半。たった二時間しか寝ていなかった。 「やっぱり緊張しているのだろうか…」  軽い痛みを覚えるお腹をさすりながら、心配になった。四八〇〇メートル地点にある山小屋での夜のことだ。  アンデス山脈のスペクタクルな風景をこれでもかと見せてくれた南部コロンビアを越えてエクアドルに

          第19話 世界で一番高い火山

          第18話 南米の屋台骨

           二日前程からぼんやりと向こうの景色に見えていた黒っぽい影。ついにそのシルエットをはっきりととらえた。北はコロンビアからアルゼンチンの南の先端までひたすら続くアンデス山脈である。いよいよ南米の屋台骨が僕の前に立ちはだかったのだ。  今朝の天気はもやもやとしていて冴えなかったが、そろそろ雨季が近いのだろう。山から流れ落ちてきた川の色は見事なまでのチョコレート色だ。憤怒の如き勢いでごぉごぉと濁流が流れている。  川に沿って麓の街までやってくると道端にはホースが三〇センチ間隔で置か

          第18話 南米の屋台骨

          第17話 コロンビアを走り出してみたら

           以前、チリで働いていたことがあったというアメリカ人女性に出会ったことがある。チリはなかなか就労VISAを取得するのが難しく、そのため滞在期限が来る度に近隣の国へ出入国を繰り返し、滞在していたのだという。その女性が言っていた。 「アメリカ人がラテンアメリカ圏で就労VISAを取りやすいのは、メキシコにホンジュラス、それにコロンビアね。そもそもメキシコなんて国境周辺は運転免許だけで出入り出来ちゃうのよ」 「へぇぇ、それは知らなかった。アメリカに近い中米は分かる気がするけど、南米で

          第17話 コロンビアを走り出してみたら

          第16話 ギトギトのポヨ

           透き通ったエメラルドの海の上に浮かぶこと五日後、それまで小さな島に浮かぶヤシの木ぐらいしか目につくものがなかった水平線の風景に、直線的な形のビルがぽこぽこと現れ出した。コロンビアのカルタヘナだ。いよいよ南米大陸にやってきたのである。  夕暮れが迫る港にヨットを接岸し、海に突き出たコンクリートブロックへ向かって南米の第一歩を踏み出そうとしたら、突然ぐらりと視界が上下左右に揺れて転びそうになった。何日も海の上で過ごしてきたせいで、体がすっかり波のリズムで揺れるようになってしまっ

          第16話 ギトギトのポヨ

          第15話 約束の葛藤

          「グリンゴ、グリンゴ!」  小学生ぐらいの少年たちが僕たちをからかうように叫び、追いかけてくる。  グリンゴとはこの地域における外国人の蔑称である。もともとは近代史で関わりの深いアメリカ人を指す言葉だったそうで、緑の軍服を着たアメリカ人を緑色に例えて「Green go out(アメリカ人は出ていけ)」と言っていたのが短縮され、グリンゴになったなどの説がある。  加減を知らない子供たちだ。グリンゴの声とともに時には石を投げつけられた。 「チーノ、チーノ!」  僕らぐらいの大人た

          第15話 約束の葛藤

          第14話 隠せない男

           賑やかな行軍で南下を続けていた僕らだったが、ある日、ニカラグア湖の畔の街でサヌキくんのiPadが盗まれてしまった。ほんの数十分前に使っていたものだったにも関わらず、だ。直前に寄ったスーパーの警備員が盗ったのだろうか。  実はこの前の日にも僕のカメラが盗まれてしまっている。やっぱりこの地域は油断のならないエリアである。 「あぁ、盗られてしまった」  頭を抱えて顔面蒼白になるサヌキくん。毎日iPadでせっせと旅ブログを記録している様子を見ていただけに、僕ら二人にも気まずい空

          第14話 隠せない男

          第13話 旅は道連れ世は情け

           中米に入り、エルサルバドルからは同じ自転車旅行者のモトミくんサヌキくんと三人でパナマを目指すことになった。  モトミくんとはグアテマラの古都アンティグアで出会った。無造作に伸びた髪の毛に黒縁眼鏡、派手な緑色のパンツと擦り切れたナイキのサンダルで、煙草をくわえながら宿の屋上にふらふらと現れた。浮浪者まで三歩手前の風貌に僕はギョッとしたものの、チャリダーだと聞いてすぐに親近感が湧いた。メキシコで二〇〇ドルの安自転車を買って、ここまで走ってきたらしい。その彼は煙をふぅっと吐き出

          第13話 旅は道連れ世は情け

          第12話 黄金色のカルド

          「ガッハッハ。話を聞いた感じじゃあ、映画の出来も知れてるし、メキシコでスターになるのは無理そうだな。」  タチートにそう言われ、「それもそうだな」と深く納得した。 「まぁ、やっぱり伊藤ちゃんは自転車野郎で行くしかなさそうだな。さっさと世界一周してこいよ」 「そろそろ行かなきゃですねぇ」  自転車旅を中断してから、いつの間にか二カ月が経っていた。もう旅立ちの時だと頭では分かっているものの一度腰を下ろしてしまった体はすっかり根が生えてしまっている。  毎日、寝る場所が決まっていて

          第12話 黄金色のカルド