もうすぐな感じ
徐々に、自分の中にあったものが棚卸しされている感覚がある。今もう少しだけ立ち止まって、何があったのかを言葉にしたいという気持ちがある。
ついつい毎日の中に、確かな歩みをどうしても、少なくとも一歩くらいは踏み出しておきたいという、言い訳にも似た、アリバイをつくるかのような感覚は、誰に対してそうしたいというものなのだろう。
僕の中にいつも「立ち止まっている場合か、本当に大丈夫か」という確かな囁きがあって、それらはとても大きな学びをたくさんくれた。感謝しているけれど、そこには不安を糧に揺り動かそうとする力でもあって、そういったものがまだまだ自分の中にあることを自覚する。そして、それは他人の中にはさらに大きなものとして確かに存在することをはっきりと感じる。
恐れているものがあるのなら、不安なままにするよりも、その正体を明らかにしてみるべきかもしれない。光で照らしてみると、それは案外何でもないものだったりして、それを何か怖いものと見間違って恐れていたなんてことが生きていたら割とあるものだから。特に見通しの悪い時なんて。
いつも自分が何を欲しているのかを確かめ、呼吸を確かめ、対話の中にある心の揺らぎを観察して、何が反応の原点にあるのかを調べ続けている。その僕の中にあるものの恐れの正体を明らかにするだけのことが相当に難しい。
でも落ち着いて呼吸をする。焦ることはないと言い聞かす。そうして初めて立ち止まる。そこまでしないと駆けるのを、歩くのを、動くのをやめない。
それでも動き続ける人を、身体は時には強引に止めに入ることすらある。そうなるよりは、落ち着いて呼吸をして、焦らないようにして、立ち止まる。
ようやくそれができる気がする。落ち着いてやれる気がする。ゆったりとして、おだやな気持ちで、あと少し、もうすぐな感じを待ちたい。
あと、何にそんなに興奮しているのか、焦っているのかを確かめたい。
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![よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9273304/profile_4a7983a0438d0b342dc5fe5a87aec1bd.png?width=600&crop=1:1,smart)