直感で得たものが言語化するまで

「言葉にするのは難しい」というのは本当のことだと思います。

それだけ五感すべてで受け止めた情報量というものはきっと大きくて、それをすべて言語化するというのは実はすぐにできるものではないのだということを実感します。

一回ピカーンと気づいた、閃いた、体感した、そんな体験が言葉になるまでにはかなり色んな経験を経て言葉になっていくものだと思います。


だから、最初の方に言葉にしていることは、とても純粋で本質的で、そして抽象的なものが多くて、具体的にはわかりづらい分、伝わらないことがきっと多いのだと思います。

このタイミングで諦める人たちがかなり多いと思います。言い訳がしやすいからです。それはこういう言葉によって表されます。


「私は頭が悪いから」
「うまく説明する力がないから」
「話すのが得意じゃないから」
「なんか昔から言葉にするのは苦手やから」


そのことによって、自分で発した言葉で、自他ともにイメージが固まっていくことになります。

まず周りは「そうか、あまり話すのが得意じゃないんやね」と受け取りますが、そりゃそう言われたらそう思いますよね。

そして自分も「自分は話すのが得意じゃないんだ」という言葉を発して、それを誤解とは思わずに、確信してしまって、言語化することから逃げます。

「言語化まで比較的時間がかかる」という人がいるのは事実だと思いますが、それは言語分野の使い方に慣れていないことが原因だと思います。

それと、恐らく、言語分野の使い方に慣れていない人は、感覚分野だけが優位的に発達をしてしまうことが割とあるようです。あまり言葉選びは上手ではないけど、なんだか直感が当たるような人とかはまさにそういうタイプかなと思います。


言語化はそもそも時間がかかるものだと僕は思っておりまして、特に近くをしているそばから言語化をするという習慣を日々つけているような人たちはそれが割と得意かもしれません。友達になにが起こったかをおもしろおかしく説明できるような力は、最初まずは思い切って話してみることから始まって、ウケて、それで「あ、なんかこういう言い方をすれば聞いてくれるぞ」と感覚的に理解して、ちょっとずつ話し方を工夫することが毎日の習慣になっていく、そんな人は毎日当たり前に言葉の修練をしているわけですから、そりゃうまくもなります。


得意だな、楽しいな、と思えば、それで勝手に伸びていく。
一方で苦手だなと思えば、それで機会を減らし、苦手意識がより高まる。


そんな風にして言語化をするのが得意な人はどんどん得意になって、苦手な人はどんどん苦手になっていくということになっていうように思います。


それでもやはり、言語化をすればいいと思います。


言語化の良さはたくさんあります。その中でも「自分に最適の仲間が集まるようになる」ということが最も価値があるのではないかと思います。

本当に言いたいことを口にしていると、「そんなこと言わないの」とか、「ええ、、、そんなことを言うの?」と思われて、引かれることもあるかと思います。それでもその言葉が自分にとって、何か飾る意味でも、格好をつけたかったり、何かを隠したかったりして使っているのではなく、本当の感覚を伝えようと思うとそれしか言葉を選べないんだという信念から発せられているものであれば、それは必ず伝わり、魅力が伝わると思います。

言語化の難しいところは、コミュニケーションというのは伝える言葉が大事なことに加え、伝える態度こそが最も大事なために、なにが刺さって相手に真意が伝わったのかは、意外とよくわからないということがあることです。それで、言語化が正しくなされていたのか、ただ情熱が伝わっただけなのか、そういう境がよくわからないのに、明らかに言いたかったことが正しく伝わる時もあります。それは実際は言葉には出来てなかったのに、です。


そんなわけで、言語化するというのは大変難しいことだと思います。

ですが、やり続けると必ず、人も、情報も、適したものが集まってきますし、また何よりも自分が言いたかったことが自分で「はっ」と気づく時がきて、「これが言いたかったのだ、私は!!」となります。かなり後で。


なので、わかりやすく伝えないといけない相手もいるでしょうが、わかりにくいことを喋っても、それを「わかる気がする」と言って遮らずに聞いてくれる人や、「そのよくわからない表現はおもろいね」と好奇心を持って聞いてくれる人がいたら、その人たちに大事な「感じたことをそのまま話す」というプロセスを何回も何回も重ねさせてもらうといいと思います。

その中で、まれに「すーごい名言出てきた」というのが、相手か自分からやってくる時があります。それは宝物です。

その宝物を探すように、よくわからない感覚について共有し続けることは、きっと自分が感覚的になにを受けようとしているのだろうか、なにを大事に近くする存在としていま在るのだろうかということを知る手掛かりにきっとなるでしょうから、その仲間との宝物探しを楽しむと良いと思います。


なにせ、時間がかかりますが、そういうもんだと知っておくと、なんだかよくわからない言葉しか出てこない自分のことを「これでいいんだな」という風に思う、勇気、または開き直る気持ち、みたいなものが生まれるかもしれません。どうぞお気楽に。どんどんよくわからないことを話しましょう。

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よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。