間違いなく特別な卒業式
見送ってくれる在校生もいなくてちょっと寂しいかもしれないし、それは自分たちが見てきた従来通りのものではないかもしれないけれど、間違いなく特別な卒業式だということは間違いない。
まさか1ヶ月前にもまだこんな風になるとは予想してもいなかっただろうし、学校が最後の三週間くらいがお休みだったということも、嬉しいことだったのか、ストレスが大きいことだったのか、学び深い時間になったのか、無為に過ごしていたのかわからないけれど。
うん、それでも無事に12年間を生き抜いて立派な中学生になりました。
大きな怪我もなく、病気もそれほどなく、ちょっとアレルギー体質で皮膚が弱めだし、気が弱いなぁと思うし、ぼくと同じでADHD傾向が見えるので落ち着きがぜんぜんないし、同じことで何回も注意されているけど、嘘をついたり悪いことをしたりはしない、絵と歌が上手で、意味不明な踊りを踊り倒す、傷つきやすくて繊細で真面目な男の子になったような気がします。
どうも失敗を怖がるところがありますが、出来れば父親の背中をよく見て、よーく見てくれたら「ほとんどしくじっているのを笑ってごまかしている」ということに気付くでしょう。
そしていつの間にか笑っているうちに、チャンスがやってきたり、ミラクルが生まれたりして、失敗だと思われていたものがたまたまカタチになったりしたことを成果であるように誤解をされていて、なんとかメシを食っているただのポンコツだがラッキーでおかしなおっさんなのだとわかるでしょう。
ぼくが中学校になる頃のことを思い出せば、早く野球したい、野球したい、としか思ってなかった、それだけの野球少年だったなと思います。
なまじ小学校の少年野球団が、ぼくじゃないピッチャーの幸男とキャッチャーの優治が超絶上手くて(彼らはその後にシニアリーグで全国優勝する)、おかげでめっちゃ強かったので調子に乗っていたけれど、入ってみたら意外と先輩が上手で、すぐにレギュラーになれるかと思ったらぜんぜんレギュラーになれず、ものすごーく悔しがっていたのを思い出します。
野球もよく知らない監督が、とりあえず外周を走れとしか言わないのがものすごく気に入らなかったし、野球をあまり知らないことをバカにしていて、すごく生意気だった。教頭先生はめっちゃ野球が好きで、暇を見つけては、なんだか野球部に関わりたそうに見学に来てくれて、ちょこちょこ遠慮がちにはありながら、指導をしてくれてたなあ。ああ、なんとなく思い出せる。
中学校は、隣の席になった子を片っ端に好きになっちゃってたような気がするので、きっと長男もそんな風に思春期をドキドキしながら過ごすのかもしれません。ニキビができたり、声変わりしたり、自意識過剰になったり、全能感を持ち始めて中二病にかかったりするかもしれません。
青春時代とは、いつなのかといえば、今だと言いたい37歳の父親ですが、素直な気持ちを言えば、やはり中学〜高校の頃じゃないかと思います。
ゲームばっかやってるけど、野球もやってるから、陰キャラではないけど、弱気な長男がどんな青年になっていくのかとても楽しみです。
それに思春期の息子に、すこし距離はありつつも関われる余地がある父親の役割を、自分はどのように果たせるのかもまた楽しみです。
無事に卒業できたことを心から嬉しく思うし、弟についつい遠慮してしまいがちだけど、しっかりと時間をとって語る時間を取って、必ず自分は両親に愛されているんだと信じられるように、心を満たすような関わりをしっかりと持てるようにしたいと思っています。
昔から計画してた一人キャンプを提案したらさっそく断られましたが、僕の諦めの悪さをまずは伝えていくことから始めていこう。よろしく中学生。