信じるというよりも事実を受け容れる

願望が実現していくということのプロセスというものにおいては、ひとつの分岐点として「信じる、信じない」というものがあるなと思います。

なにを言ってるのかというと、何事かが実現出来る出来ない、ということにおいて、その実現したい何事がうまくいくのかどうかということを考えるときに、どう考えているのかということによって結果が変わるということ。


「そんなことは、できないにきまってる」

そんな風に考えているときは、できないと信じて生きてきた自分の信念が間違っているとは思いたくないので、不思議なんだけど、ただし確実にそれを実現したいと口では言うものの、最終的にはうまくいかないようにわざわざ失敗するように仕向けようとするところが、そういう人にはあります。

できてしまったら、嘘をついたことになるので、最終的にはうまくいかないほうが整合性が取れるから、そのほうがスッキリするのです。違和感なし。だからうまくいくことを言葉では望んでいるといっても、本当のところはどうせうまくいきっこないと思っているし、そうあってほしいと願ってます。

ちなみに、実はなんとかしたいと強く思っているんだけど、言葉では「そんなことはできないにきまってる」という言葉を選ぶときには、もちろん失敗をしたときに言い訳が出来るように保険をかけているだけですが、それでも言葉で一旦そう口に出しているので、うまくいかない未来もイメージが出来てしまっているので、比較的実現しづらい方向に推移する場合が多いです。


「きっと、うまくいかない」

うまくいかないにきまっている、というよりはすこし柔らかいですが、かなり強めにうまくいかないと信じている状態なわけです。ただ、きっと・・・というところに、うまくいかないことすら信じ切れてないので、うまくいく可能性をすこし残しているので、うまくいっても受け入れることができ易いぶん、うまく実現する可能性があると思われます。

きっと、うまくいかないとは言うものの、本当はうまくいってほしいと思う場合が多いからです。ただし、うまくいかなくなりそうなときは、すぐに言い訳がしやすいので、「ほら、やっぱりうまくいかないと思ってたんだ」ということを言えるので、これも比較的実現しない可能性が高くなります。


「うまくいかないかも」

これはかなり、実現したい願望が高まってきていますが、うまくいかない可能性をまだわりと信じているので悲観的シナリオを強めに思い描いているぶん、実現する可能性が低くなります。ただしこの心境は人によっては「うまくいくと信じていたのに」という前提があった場合における表現の時がありますが、この場合は、かなり実現を信じていたのに想定外の出来事にやられて瞬間的にネガティブな気持ちで発する心境かもしれません。その場合は、ポジティブな支援や出来事があると実現する心境に変化し、実現に向けて大きく傾くことでしょう。

「うまくいくかも」

そして類似しているこちらの表現では、実現したい願望が高く、さらに楽観的シナリオに対する受け入れ準備が整いつつあるので、うまくいくことをかなり願っていて、信じやすい心境になっています。ただ、もともとうまくいかないかもしれないという気持ちがあったので、すこしネガティブな要因が多めに押し寄せると気持ちが負けて、実現しない方向に傾きます。


「うまくいくと信じる」

さて、信じ始めてきました。うまくいくと信じればきっとうまくいくんだというポジティブさに包まれてきております。信じていることを前提に、それがきっとうまくいくようになるよね、なってほしいよね、ちょっと不安だけどね、という感じです。基本的にはめちゃくちゃうまくいってほしいんだけど、うまくいかないことがあり得るし、それがあるとツラいなと思う、そんな心境です。実現はしやすいですが、ネガティブなことが多発すると、信じる気持ちに疑いが生まれて、実現から遠ざかることがあります。


「絶対うまくいく」

ここまでいくと、自分をかなり信じているのでほぼ描いていることが実現させていけるでしょう。少々の困難ではくじけず、強い気持ちで障害に対して向き合い、乗り越えて何とか実現するという心境。

よほどのことがないと実現しないことはありません。


「うまくいかないはずがない」

もはや、うまくいかない兆しが生まれるとしたらそこに違和感があるという心境。なぜ自分が実現しないということがあり得るのだろうか、いやない(反語)という心境なので、困難があっても「実現に向けて必要な学びだろう」ということで意に介しません。

ほぼ実現は間違いないという考え方。


「そういうもんやで」

ここまでくると、自分という存在に対しての理解であり、世界に流れる真理の理解であり、それはもう揺るぐことのないものであるから、気持ちがどうということではなく、そういう法則の中で動いているだけのことなので、自分の心と世界の動きが「そういうものである」ということに、受け容れるという選択肢のみ一択という状態。

実現するというよりは、あるべき状態がそうであることについて、ただそうであるという事実のまま受け容れる、という心境。



さてこんなことを書きましたが、まさにそんな心境で生きてゆくものだなという事実がたくさん突き付けられています。自分にも他人にも。

物事というのは、実現すべき時に実現しており、それを体現者の立場でもありつつ、観察者の立場でもありつつ、味わい深く、見て、語り、動き、そこに具体化していく役割を果たす、その役を引き受けているに過ぎないのだということを、常にありがたいこととして、感謝して、為したいと思います。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。