流れるままにゆく

つくづく「不思議なご縁で生きている」と思いますし、まあそもそも不思議だなと思うのは、こちらの意図があるやなしやに限らず、なんとなく暮らしが心地よくいけちゃうからなのですが。


なんでしょうね。まあ、別になるようになっているのかもしれないし、事実は本当はどうなのかは分からないのです。

僕は僕のことをとても運がいいと思っていて、心地よく生きて死ぬことが決まっていて、あとはそれをどのように味わい尽くすかだけのことと思っているので、いろんなことが起こっても、「へー、今回はそうなったんか」という気持ちでドラマでも見るかのように眺めているのです。


あたかもそれは、ドラマの中にいながらも、その人生が筋書きの台本は渡してもらってはいないものの、「ドラマチックに進むことだけは決まっているから、とりあえずアドリブでやっといてくれ」と言われた配役のような。

だからもう、それはそれで諦めて楽しむしかないなーなんて開きなおってみると、流れて流れて、あの時のその出会いがそこにつながるんかいな?っていうことになったりするわけでね。

でもまあ、そこはなんというか「きっとこれ、そのうち使うネタやな」って思っているから、意味不明な出会いやら機会にも前向きに取り組んでみて、意味も分からず一生懸命にやっていると、これがまた不思議とやっぱり後になってネタが披露される機会に立ち会える。前向きにやっとるからかな。


あえて「積極的で、受動的に生きる」と決めることになって1年ちょっと。この方向でやっぱり良かったなあと思う日々です。


今週はちょっと忙しいし、けっこう知恵と体力とひらめきを求められる仕事が多いからこそ、自己嫌悪したり、自己否定したりしかねないけど、こんな罠の多いときこそ落ち着いて過ごせるようにしたいなと思ってます。

こちとら穏やかに過ごすのに忙しいもんですから、わざわざ自分で穴掘って、足突っ込んでる場合じゃないんで。深呼吸しておやすみなさーい。

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よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。