全社会議で社員教育をする

この1月からお世話になっている株式会社Daiでは、年間4回の全社会議(General Meeting=通称GM)がある。

この全社会議は、もともとは本社が京都だった会社が、コロナ禍で出社できない状況になった際に、いっそ出社を前提としないテレワークの会社につくり変えることを意思決定し、そこから北海道・東北・甲信越・北陸・関東・関西・沖縄などに社員を抱える会社へと変貌をしたことによって生まれたと聞いている。

基本的には顔を合わせずに仕事をしている。仕事自体は出社がなく、通勤がなく、家で仕事をすることが出来るから楽な側面もある。だけど、最近は出社する企業が増えてきたことで示されているように、マネジメントしづらい側面もあるし、社員自身のメンタル面だけでなくフィジカル面での不調すらつながる疑いもあってか、テレワークは良いことばかりではないということを多くの人が実感しているようだ。

だけど、引き続き、テレワークを、そしてテレワークだけに留まらず、新しい概念としてコーラルワークとして、働き方と働くことへの考え方に一石を投じようという、社会実験と言える取り組みをしているのが、いまお世話になっている会社だ。


普通に出社して働いていれば、雑談する機会も、一緒にご飯を食べる機会もあり、その合間に一緒に歩き、茶を飲み、おやつを食べることもあるかもしれない。場合によっては何も言葉を交わさない人もいるだろうが、それでもお互いがそこで息をしていて、何かしらをパソコンの前で唸りながらやっている同僚がいることを認識して生きている。それらが在ったことに気付けるのは、それらを失ったことがある、または失っている人なんだと思う。

だからこそ、会社としては各地からメンバーが集まる機会を、四半期ごとに一回つまり年に4回はメンバー同士が顔を合わせる機会をつくって、親睦を深めたり、お互いに存在を確かめ合ったり、直接コミュニケーションをとることに予算を設けている。そして、よほどムチャクチャな使い方をしない限りは、予算として申請すれば「うん、やってみな」と背中を押してくれる。

移動費、宿泊費、食費でほとんどの予算を使う。工夫を凝らしそうとして、いろんなゲストを読んで謝礼を払ったり、地元のおみやげを用意するにしても、それほど多額にはならない。フォーマットは概ね決まっていて、やることの7割はそれなりに決まっていることであって、残り3割、ヘタすると2割くらいにしかならない予算のなかで、工夫を凝らして遊ぶ企画することに醍醐味がある。


なんとなくやったことがあることに気がつく。ああ、これはお祭りなのかもしれないと。お祭りに参加する側に立つこともあれば、企画して運営する側に立つこともある。運営というのは大変だが、大変だからこそ得られるものがあって、苦労するばかりではないと僕は思っている。何より、参加者側に回ったときに、運営側の気持ちに立って行動できる人になることは、かけがえのない学びじゃないかと思う。だって、相手の立場に立つってことであって、それはいつの時代も、そしていまの時代とくに重宝される「誰かの立場に立つ力」や「相手の気持ちに寄り添う力」を育むからだ。

そして相手の立場に立って、言葉をあえて真似して使ってみたり、行動を真似してみたりすれば、はじめて「ああ、だからそんな風にしたのか」とか、「このルールが存在する理由が分かった」なんてことも生まれる。

人がお互いに対して、いつも優しい気持ちになれるとしたら、相手の想いをくみ取れたり、相手の立場に立って想像できるからではないかと思う。


相手の立場に立つということは並大抵なことじゃないし、実際は出来てないのだと思う。想像の範囲を超えない。だって本人ではないのだから。
それでも理解をしようとする努力によって、相手に寄り添う気持ちは持てるし、絶望的に分かり合えないことが多いが、たまに分かった感じがするときもあって、宝物のような思い出が生まれることだってある。


地域にはお祭りがあって、当て職でたまたまやらざるを得なくなって、うわーめんどくせえって言いながら、責任がのしかかってやらざるを得なくなって始めて苦労を知る。そのときに、純粋に参加するだけに没頭出来ていて、このゲームつまんねえだの、景品がしょぼいだの、運営がトロいだのと言っていたことが、なぜそうなっていたのかにいくらか想像がつくようになる。

もちろん、敏腕な人ならば「こうすりゃ変えられんじゃん、ほらよ」って、一新しちゃえる力があるかもしれない。それは歴史が変わるときだと思う。これまで古いことを続けてきた営みに、たまに現れる外れ値の人材が、そこで前例踏襲のつまらなさを感じて、新しい一歩を踏み出して、次のバトンを渡していく。でもすぐに、また前例を踏襲するマジョリティが、いつも通りをつくり出して、退屈だけど、確実につなぐ時期にバトンをつなぐ。

まれに連続して変人がバトンを繋ぎ続ける機会には、文化革命がおこる時期なのかもしれない。変化し続けていく営みは、他の地域や集落を置いてけぼりにして、まったく独自の文化を創造する、そんな地域もあっただろう。


大袈裟に捉えているわけではなく、営みというのはそういうもんだと思っている。このGMという取り組みも、会社の文化を独自たらしめるひとつの側面だと思う。この取り組みに、うっかり楽しくて2回連続で関わってしまっているから大変だ。僕が変人だとすると、ちょっと文化革命が起こってしまう種蒔きをしてしまうかもしれない。

あくまでもこの取り組みは仕事である。でも、その中でそんなアホなことを言えるのも幸せなことだなと思う。おそらく節度は保てる人間のはずだが、アホなことを通じて学ばせてもらえる有難さを忘れず、取り組んでいこう。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。