コラム:『Red Dead Redemption2』が露呈した、シングルプレイゲームの「限界」について
『Red Dead Redemption 2(RDR2)』の話をします。
19世紀末のアメリカ西部を緻密に再現した本作の世界は、広大で、ダイナミックな景観に富み、土地に息づく人々の暮らしと数百種類にも及ぶ動物たちの営みで満ち溢れていました。
オープニングからメインストーリーのエンディングを迎えるまでの50時間以上、僕は確かにその世界に魅了され、冒険する楽しさを味わっていたはずでした。
しかし、メインストーリーをクリアし、エンディングを迎えたあと、僕にはRDR2の世界が死に絶えた「空虚な」世界に思えてきて、仕方ありませんでした。
相変わらず美しくはあるけれど、もはや何のダイナミズムもなく、人々もパターン化された動きを繰り返すだけの、まるでリアリティのない存在に感じられました。季節の変化もなく、戦争も平和もない、1日1日をただやり過ごすだけの世界でした。
メインストーリーをクリアしたあと、達成度を100%にするまでの約100時間の間、僕は、例えると全く同じ1日を繰り返す世界の中で、自分だけがループを認識しているのに抜け出せない…そんな虚無的な感情に近い気分を味わっていました。
これは、本作に特有の欠陥というよりは、買い切り型のシングルプレイゲームが抱える本質的な問題という気がしました。つまり、制作に投入された労力が有限である以上、作品世界にはかならず果てがあり、そしてその変化のパターンもまた有限である、ということです。
合計158時間を費やして、ついにRDR2の100%クリアを達成した時、僕は達成感よりもむしろ、「ようやくこの『死の世界』から退出できる」…という安心感を覚えました。しかし、本作における僕の分身であるところのジョン・マーストンは、僕がゲーム世界から「脱出」したあとも、「僕」という魂を失ったまま本作の世界に永遠に囚われることとなったのでした。
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思い返してみると、本作のプレイ開始当初は、本作の世界には空虚さは全くなく、未知の冒険に満ち溢れていました。
プロローグの雪山のパートだけを取り出してもそのマップ範囲はあまりに広大で、さまざまなロケーションが存在していました。それにも関わらず、それは全体マップからするとごく一部で、マップには広々とした白紙の領域が広がっていました。
それを見た時、僕は「本作の世界は何て広大なんだろう…!」と感動し、まだ見ぬロケーションと未知の冒険にワクワクを抑えられませんでした。
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メインストーリークリアまでの50時間以上、本作はそんな僕の期待に応え続けてくれました。
主人公アーサー・モーガンが所属するギャング団「ダッチ・ギャング」と、本作の世界との関係性は、メインストーリーの進行とともにダイナミックに変化してゆきました。
文明化の波が押し寄せつつあった19世紀末のアメリカ西部においては、気ままな自由さとアウトローであることを重んじるダッチ・ギャングのような集団は、疎まれ、追いやられる運命にありました。現状を打破しようともがけばもがくほど、この世界に、彼らに残された場所は少なくなってゆきました。
極めて写実的な世界描写によって、僕はそんなアーサーの苦しみを自分のことのように感情移入して感じることができました。
ギャングの仲間たちの描写や、この世界と主人公との濃密なインタラクションから、僕は、この世界に極めて高いリアリティを感じていました。(詳しくは以下のコラムに書きました)
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そして、物語は感動的なフィナーレを迎えました。主人公であったアーサーは不治の病で死んでしまいましたが、その遺志を受け継いだジョン・マーストンが、ついに因縁の宿敵を打ち倒しました。
そして、ジョンは平穏な暮らしを手に入れたのでした。愛する妻と息子、そして自らの牧場を。ジョンが本当に望んだものではなかったかもしれませんが、それは確かに、ハッピーエンドでした。
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しかし、本作の世界にかかっていた魔法は、この瞬間から急速に色褪せていきました。
エンディングを迎えて以降の本作は、いわゆる「やり残したことを心ゆくまで楽しむ」フェイズに入りました。達成度100%を目指して、野草を集めたりギャンブルに精を出したり、出現率がとても低い動物を狩るために狩場に通い詰めたりしました。
僕の場合、達成度を100%にするために、エンディング後からさらに100時間近くを要したわけですが、率直にいうとその時間はけっこう苦痛でした。その苦痛さは、「目的の動物や植物がなかなかドロップしない」といったゲームシステムに対する憎悪から生じたものもありました。しかし、特に感じたのは「本作の世界がもはや、いつまでも滞在したくなるような魅力ある世界ではなくなってしまった」ということから生まれる苦痛でした。
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第一には、(オープニングの時に感じた感情とは真逆に)本作の世界が「とても狭くなってしまった」ことでした。
もはや行ける場所はすべて踏破してしまい、あらゆるロケーションはすべて自分にとって馴染み深い「近所」になってしまいました。オープニングの雪山も、主人公や仲間たちを脅かした厳しい大自然ではなく、馬を走らせてサクッと行って帰れる程度の場所に変わっていました。
確かに、風光明媚な場所がいくつもあり、それらが目を楽しませてはくれるのですが、「広大なアメリカの大地を冒険している」という感覚は失われてしまいました。
ちなみに、本作のマップの南端(前作RDR1の舞台だった地域)はメキシコと国境を接しています。国境線である大河の向こう側にはメキシコの大地が見え、望遠鏡で見ると建物や街を見ることもできます。
ただ、これによって「マップの外にも広大な世界が広がっているんだ」という想像力を掻き立てられたりはしませんでした。むしろ、「作ってあるのはここまでで、世界の果てもここなのだ」という閉塞感を感じさせました。
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第二には、この世界から「ダイナミズム」が失われてしまったことでした。
大団円を迎えた後の本作の世界には、もはや「語るべき物語」は存在していませんでした。(収集物のコレクションに絡むサブストーリーなど、多少のストーリー要素が残されてはいますが)
もちろん、前作であるRDR1を踏まえれば、本作のエンディング後ほどなくしてジョン・マーストンは家族ともどもFBIに拉致され、そして、RDR1の物語が幕を開けることは分かっています。しかし、本作を遊んでいる限りは、その気になれば、ジョン・マーストンは永久に「平穏な日常」を過ごし続けることができました。
その世界は緻密で写実的なグラフィックで表現されていて、ゲーム開始当初と変わらずに、美しいアメリカ西部を表現してくれていたはずでした。しかし、その世界はもはや、それ以上何の変化も生じない「死んだ世界」になっていました。
倒すべき敵はなく、苦楽を共にした仲間もいませんでした。生き残った仲間たちとそれぞれ再会するイベントはありますが、単発のシーンがあるのみで、それによってなにか関係性が変化するわけでもありませんでした。家に帰れば妻と息子(とおじさん)がいて、一見幸福な生活ですが、息子がそれ以上成長することもありませんでした。
極端な言い方をすると、同じ毎日を永久に繰り返しているに等しい世界だったのです。そのような世界の中で、達成度100%のためにひたすらチャレンジやコレクションを続けていると、とても孤独な気持ちになったものでした。
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ここまでに僕が書いた「エンディング後に、その世界の『空虚さ』が露呈する」問題ですが、本作特有の欠陥だと言いたいわけではありません。
むしろ、買い切り型のシングルゲームである限り必ず突き当たる「限界」のようなものだと感じました。
人間のデザイナーと変わらないくらいのクオリティでAIがコンテンツを自動生成できるのであれば話は別ですが、そうでない限りは、その作品に投入される物量は必ず有限です。つまり、作品世界には必ずどこかに果てがあり、紡がれる物語にも終点があります。
本作に限らず、いわゆるAAAタイトルの場合、100時間超のプレイ時間を保証するためのさまざまなやり込み要素が存在するのが常ですが、それらのコンテンツに投入される労力は、本編のそれと比べるとどうしても限られたものになります。
そのため、例えばクリア後の時系列がエンディング前に巻き戻る作品だと「最終決戦前にこんなことをやっている場合なのか…」という感情が生まれてしまいますし、本作のように「エンディングのその先」に行く作品だと、本コラムで指摘したような虚無感を生むことになります。
個人的には、AAA作品であっても、100時間超遊ばせるコンテンツを詰め込むことに注力せずに、メインストーリーにフォーカスした研ぎ澄まされた作品にしてほしいと感じます。しかし、現実的にはなかなか難しいとも感じています。
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本コラムでは、RDR2を達成度100%になるまでプレイして、それによって僕が感じた「虚無感」のようなものをなんとか言語化してみました。
僕は、本作の世界を離れた今でもときどき、あの世界に一人取り残されたジョン・マーストンのことを考えます。おそらく、「僕」という「魂」が抜けたあとのジョン・マーストンは、他のNPCたちと同じように、変化のない「平穏な日常」を、なんの疑問も抱かず、永久に過ごすのでしょう。
もしかしたら、それはそれで、幸せなのかもしれません。
(了)
2024.12.3
Itaru Otomaru