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職場で「偉い」ってどう言うこと?

少し前の話です。
clubhouseのルームで手を上げて発言の機会をもらった時に、モデレーターの人が私のプロフィール上の肩書きを指して、「偉い人ですね」とコメントしました。
私はそれに強烈な違和感、というか嫌悪感に近いものを感じました。

私の人事上の肩書きは「人事部長」ではありますが、それを指して「部長=偉い人」としたのでしょう。リスナーに対してステイタスが高い人が話そうとしているという注意喚起をするとともに、そういう人が話してるルーム(番組)なんだと価値を上げようとしていたかもしれません。
あるいは単に「偉い人」がリスペクト(と言うか煽て)だったのかも。

まぁ、モデレーターの人が私を「偉い人」と紹介した意図の本当のところはわかりませんが、私自身は自分が人事部長だから偉いと思ったことは今まで一度もないので、違和感があったのだと思います。
そして、違和感があるということは私自身が「偉い」に関しての基準を持っているからなのだろうと思います。はっきりと意識したことはなかったですけれど。

偉いってどういうことでしょうね?

組織図で上の方にいると偉いのか?

モデレーターの人がそうであったように、組織の階層の上に居て役割的に「部長」とか「社長」とかついていると一般的には「偉い人」となるのでしょう。
しかし、果たして本当にそうでしょうか?

組織の階層の上の方にいても大したことない人っていっぱい居ます。
人事をやっていてリーダーとなってゆく人や外部からリーダーとして着任する人を何人も見てきましたけれど、ポジション相応の中身や実力がない人に限って偉ぶってることが多いです。
「自分は○○長なんだから」とポジションを振りかざすのですけれど、それで何かができるわけではないし却って反発を喰らってしまって、完全にポジション負けしちゃう感じになります。

直球で申し上げると、組織図の上にいる「○○長」達は、単にそういう役割であるだけです。
具体的には、目の前のタスクに集中するのではなく、周りを見渡して方向性を示したり、部門間の調整をしたり、部下が仕事がしやすいようにはっきりとした指示をしたり、能力を伸ばしてゆくための機会を提供して組織の力を底上げする…そういう役割です。
その役割だから偉いのではなく、それをうまく回せていれば偉い、のです。

上司だから偉いのか?

上司は偉いのだから、言うことを聞かなければならない」と言う人もいます。
これもどうでしょうか?
これは組織階層の上にいるからというのとは意味が違いそうです。
具体的に言うと業務命令ができる、と言うことだと思います。

確かに、上司は業務命令ができます。
命令される側がやりたくないと思うことでも、組織としてそれをその人にやってもらう必要があるのであれば指示命令するでしょうし、定時がある会社においては時間内に(例えば9時〜17時まで)勤務をすることは業務命令です。

でも命令ができるから偉いかと言うとそうではないでしょう。
組織の規範やルール、あるいはニーズがあって、作業や勤務状況を監督しながらそれを守らせるために命令をしているわけですから。

逆に言えば、上司であってもルールや規範に背いているのであれば、部下から諫言をすべきですし、それを力を押し潰そうとする上司であるのであればコンプライアンスの相談窓口(法務や人事、あるいは弁護士)に訴えて良いでしょう。

上司が偉いとしたら、そのような規範やニーズを忠実に守っている、守らせることができているからではないでしょうか。

偉いから給料が高いのか?

高い給料をもらっているのは偉いからだ」と言う意見も時々聞きます。
これも必ずしもそうではないと思います。

給与や報酬の話で言うと、メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用で給料の設定は考え方が大きく異なっています。

メンバーシップ型雇用においては、そんな仕事(ジョブ)をするかではなく、会社に入ることでどんな仕事をしようが給与が一定額支払われそれが昇給で毎年上がってゆきます。
そして、経験年数(継続勤務年数)と功績(仕事で足した成果に対する考課で決まる)で給料は上がってゆきます。
昇進でもしない限りは基本は経験値が給料になります。
偉いかどうかは関係がない。

一方のジョブ型雇用では、仕事の価値に対して報酬が支払われます。
平社員には平社員の給料、○○長にはそれ相応の給料。
偉いからではなく、その仕事の市場価値のようなもので決まります。これは需給バランスということでもあります。平社員の方が○○長よりも圧倒的に数は多いので、容易に手配が付きますし、だから給料は安くなる。
仕事の内容が複雑になったり希少価値がある場合は、そういう人を見つけ出して雇うことが難しいので給料は高くなる…
実際、希少価値のある資格を持っていたり、業界の第一人者のような人を雇用する場合はその人の給与は役員よりも高額になることはしばしばあります。

偉い人の原点に思う

さて、ここでちょっと視点を変えましょう。
偉人伝って読まれたことあるでしょうか?
「野口英世」とか「キューリー夫人」とか。

私には、小学生の頃にそういう本を何冊も読んで、感想文を書くのが宿題になっていた記憶があります。やらされ感は満載でしたけれど、中には読んでいて感動する伝記もあり、そこに出てくるエピソードは小さい頃に読んだにも関わらず未だに覚えていたりします。
最近だとビジネス書でも伝記は出てきていますね。
少し前だとスティーブ・ジョブス、最近はイーロン・マスクの本がでているので読まれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そのような偉人伝に出てくる人たちは、何をもって多くの人から「偉い」と思われているのでしょうか。

どちらかというと到達したポジションやステイタスが理由で偉いのではなく、そこに行き着くまで諦めないで努力や工夫を続けていたことが偉いのではなかったでしょうか。
恵まれない環境にいても、困難が行く手を阻んでも、他責にしたり言い訳をせずに自分にできることに積極的にトライして道を切り拓いてきたから、多少の挫折をしても諦めずに自分の目指すものを追い続けていたから「偉人」たり得たのではないでしょうか。

このように考えると、「上にいるから偉い」とか「力がある立場だから偉い」は中世あたりの絶対君主制の価値観を引きずっているのではないかと私は感じてしまいます。

冒頭に述べさせていただいた私の感じた違和感や嫌悪感に戻ると、それは私の中身を見ないで肩書きやタイトルだけで「偉い」と決めつけられたところにあったのでしょう。言い換えれば、私の入れ物だけしか見てもらっていないように感じられたのです。
つまり、偉さとは中身を知るまではわからないはずではないか、と。

そして、偉さや偉大さは誰の中にもあるはずだと思います。
何かに夢中になって何かをやり切ったこと、無理かもと思うほどの困難を乗り越えたこと、ありませんか?

あるいはひょっとしたら、それはまだ発揮されていないかもしれません。
でも、どんな分野でも良いので頑張って工夫して何かを成し遂げることで出現するでしょう。

仕事には偉いも偉くないもないし、人の属性にも偉いも偉くないもありません。
どんな仕事にも価値があります。
職業人として一所懸命に仕事をしているのであれば、その姿勢にこそ偉大さは隠れているはずではないでしょうか。

「私は大したことないから」とか「偉くないから」とか言わずに、あなたの中の「偉大(Somthing great)」を胸張って出して行こうじゃないですか。

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