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組織(チーム)の自己凝集性を考える

ひとりひとりがバラバラでまとまっていないチームやグループ、組織はどんなところにもあるものだと思います。
でも、それが何かのきっかけでギュッと一つにまとまって機能するようになることがあります。私はプロジェクトのコーチをしたり、人事として組織に関わる中で何度もそれを目の前で見てきました。

私はそれを「組織の自己凝集性」と考えています。
会社であれ、スポーツのチームであれ、人が集まっているからにはそのようなエネルギーが自然に働くものだと私は思いますし、それを信じています。
ただ、その兆しに気づかなかったり、その時が来た時に人々が的確に動くことができないと凝集せずに解散してしまうことになります。

組織はどのように分裂し、どのように再び凝集してゆくのか。
少し考えてみたいと思います。

分裂の芽は多い隠されている

少し前に私が組織開発を行うようになった背景を別のnoteにまとめました。そのnoteの中盤で15年ほど前にプロジェクトのコーチングを行ったことが自分がチームに関わったりグループダイナミクスに興味を持ったきっかけだと書かせていただきました。
そこからさまざまなチームに関わらせてもらったり、私自身もチームを持つようになったり、人事としてチームをコーチしたりということをやる中で分かってきたのは、「実は分裂の芽は最初からある」ということです。

チームの中にいる一人一人は、当たり前ですが別の人間です。同じ人間のコピーはいませんので、それぞれが別々の経験を経てそこにいますし、考え方も全く同じということはないはずです。しかし、最初はそれに気づきません。というかそれを考えずに別のことを考えていると言っても良いでしょう。
共通の目的や目標を掲げ、そこに対して協力してゆけるように周りの様子を見ていますし、同じ目的や目標のもとに集まっているので、皆同じように考えるだろう…と考えてしまっているわけです。

Bruce Tuckmanのタックマンモデルで言うForming(形成期)は、そんな感じになります。自分の考えや意見を言うよりも周りに合わせ、グループとしての形を作ろうとします。
具体的には、メンバーそれぞれの人となりを理解し、なるべく共通項を探す、ないしは共通の目的があることにしています。
平たく言えば「一緒に始められる状態」「一緒にいられる状態」を作ると言うことだと思いますが、これは自分たちで心理的安全性を構築するプロセスなのかもしれません。決して怪しい人はいないことの確認でスタートしますし、怪しく思われたくもないので自分自身のことや意見もそれほど出してはいないでしょう。

同調圧力という言葉もよく聞かれ、日本はそれが強い社会であると言われていますけれど、これは日本に限らずどの国でチームを組んでも同じようなことが起きます
最初から不愉快な思いをしたい人はいないので、大人しくしているわけなのですけれど、それぞれの違う部分に踏み込んでいない、ないしは違いを知ってもそれがどのような影響を及ぼすのかをまだわかっていないので、分裂の芽は「グループとしての和」の中に覆い隠されてしまっています。
言わばかりそめの凝集が起きているわけですね。

何がきっかけとなってゆくか

覆い隠された分裂の芽、すなわちそれぞれの考え方や価値観の違いは、物事が上手くいかなくなった時にまるでベールを剥がすように表に現れてきます

タックマンモデルでStorming(混乱期)と呼ぶこの状態は、メンバー一人一人の考え方の違いが意見や主張の衝突として現れます。
が、必ず起こるとは言えません。そのままスーッと流れてプロジェクトが完了することも割と多いのです。
なぜならば、ことを荒立てず穏便に妥協しながら進めてうまくいくのであればその方が良いわけですから。

チームが分裂を始めるのは、実はメンバー同士の意見の違いよりも、メンバーにはどうしようもない外部要因による状況の変化が影響することの方が多いというのが、私の過去の経験から学んだことです。

わかりやすい例で言うと、チームでプロジェクトを進めてゆくうちに、大きな変更を余儀なくされる事態が発生したとします。それは納期が短くなるとかコストがかけられなくなるとかかもしれません。それが予測できたかどうかは別問題として、です。
そうなった時に、「変更に対して抵抗をするか」「変更を受け入れて修正をするか」に分裂します。なぜならば、そこまでにかけたエネルギーや時間を惜しんだり、やり直しをすることを避けたいと思う人は必ず出てきますので。プロジェクトに一所懸命だった人ほどそうなって行きます。

チームによってはこの場面でプロジェクトを成功させようという未来志向から、なんでこんなことになってしまったのだという犯人探しに移り始めます。
決してそれをやりたいわけではなく、プロジェクトを再び先に進めるにあたって同じような大幅な変更やうまくいかないことが再発するのを避けたい一心で原因を探すわけです。
でも、結局のところ犯人などいないわけですし、ないしは全員がなんらかの原因になってるないしは放置してたということになります。

プロジェクトのコーチをしながら側から見ているとなんとも不毛な議論をしているように感じられ、そこに時間を使うよりも別のことをした方が良いように見えて仕方がない状況になりますが、ストレートにそのように関わっても却ってこじれてゆくだけです。つまり分裂をなんとかしようとコーチが戦うとコーチが火だるまになってしまったりします。
なので、自分たちでそれに気づいてゆくように持って行きます。

別のわかりやすそうな例を出すと、パンデミックの影響で始まったリモートワークも外部要因でチームが分裂してゆく状況と言えるでしょう。
皆が疑うことなく会社に来ていた今までは家庭の事情とか個人の働き方の好みとか会社への通いやすさなどは触れないで済んだものが、リモートでもできることがわかったことで自分にとって最も望ましい働き方を主張し始め、それがコンフリクトを生み出して組織が分裂して行きます。
つまり「会社に行くか」「在宅勤務か」という二項対立が始まるわけです。

組織には多様な人が居ますし、だからこそ意見の食い違いは起こるわけなのですけれど、二項対立による分裂がまずいのはそれが極端(エスカレート)になりやすく解消にくく、お互いを潰し合ってしまうためだと私は考えています。
よく起こるのは「○○賛成派」と「○○反対派」ですね。

二項対立が起こると、それぞれの派閥が自分の意見を通すために多数派になろうとしてみたり、どっちつかずで判断に迷っている人たちに決断を迫ったりということが起こり始めます。
こうやってそれぞれの極がエスカレートして行き、最悪の場合は埋めようのない溝のようなものができてしまい、チームの雰囲気が険悪になりプロジェクトはスタックします。

再びつながってゆくために

二項対立が昂じて二極化のようになってしまった時に、どのようにして再びメンバー同士を繋げてゆくことができるでしょうか。
私の今までの経験では、チームの中に起こす変化を二段階に分けるとうまく行くように感じています。

最初に起こす変化は、対立の構図を変えることです。
具体的には、二項対立や二極化ではなく、第三極や第四極を作って対立のエネルギーを分散させるということです。

二項対立になってる時は、それぞれの極が相手を打ち負かすことを考えていれば良いわけですけれど、第三極、第四極と出てくると自分達が多数派になることが簡単には行かなくなってきます。
プロジェクトのコーチとしては、これを作り出すために個人の考え方を引き出す関わりをはじめて行き、第三、第四の選択肢が表に出てくるように持って行きます。チームの中に強硬的な姿勢の人がいたりしてものが言いにくい状況を察知したら、個別に関わることも行います。

これを行うのは「対立」ではなく「意見の違い」であることに気づき、それぞれが異なる考え方を持っていたことに気づかせる目的があります。
二つの意見の対立の方がまだ分かりやすかったところに、コーチが関わることで状況が複雑になり議論はカオスな方向になって行きますが、これが狙いです。
すなわち、通常のStorming(混乱)に戻すのです。

この状況になったら次の一手は早い方が良いです。
それはプレッシャーを与えること。例えば納期ですね。
具体的には、プロジェクトのアウトカムの提出期限をリマインドしつつ、ゴールが何であったのか(これはチームが決めているわけですが)、現状はどのようにコーチから見えているか、現状からゴールに行くまでに必要となるであろうステップを列挙して行きます。
ただ口で言っても混乱をさらに助長するだけですので、ホワイトボードのようなものに書き出します。

ここでコツが一つ。敢えてゴールまでの完璧なステップは提示しません。むしろツッコミどころ満載ものを「例えばこんな感じで動くのではないか?」的に出して見せます。
するとチーム側からここは省けるのではないかとか、ここをこう変えたほうが目的に適う結果になるのではないか、とかの意見が出始めます。
ゴールに向かって再びチームが一つになって考え始める状態が起きるわけです

コーチとしては自分のアイディアには固執せず「おお、そっちの方が良いアイディアだ。これなら先に進めそうだね」とフィードバックと勇気づけを行います。
「もっとうまく行かせる、成功に導くために他に何ができる?」
未来志向に考え方がスイッチする問いかけです。

あとは見守っているだけでチームは自然に凝縮して行きます。結果がどのようなものになるかはチームの力次第ですが、喧嘩せずに最後までは行きついて「終わったー」という達成感を共有するところまでは行きますし、行かせます。


ある程度の期間をかけて一緒に何かを達成するために集まっているチームであれば、混乱が起きた時でもそもそもの目的に立ち返り、自己凝集が起こるのを私は何度も目の当たりにしてきました。
コーチがなんとかしようというのは本当に烏滸がましいと思っていて、最終的には必ずまとまってくると信じて関わることが大切だなと思っています。

ただ、何もない状態ではまとまるものもまとまっていきません。
二つに分かれてしまった状態というのはある意味「安定」ないしは「均衡状態」になってしまって、そこから先に動けなくなってしまいます。
なので「余計なことをしてくれる」ぐらい恨まれても、自己凝縮に向かわせるために混乱を作り出して行きますし、嫌がられるプレッシャーを与えます。

ひょっとしたらこれは料理に似てるかもしれません。材料が分離してしまっていると美味しい料理にはならないのではないかなと思うので。
うまく混ざって良い味になるためには、何か別の味(調味料とか麹とか)を持ち込んで変化を起こしたり、冷やしたり加熱したりというプレッシャーを与えることで一つの料理としてまとまったものになってゆく…

何か一つの味しかしない料理は味気ないものだと思います。それぞれの素材の持ち味のいいところが出てくると素晴らしくなる。
チームもそうではないでしょうか?

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いたる | 外資系人事の独り言
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