「How」の本質が分かったかも、、な話
物事を考える時や何かの行動を起こす時に、What-Why-Howと言うフレームを使って考えることがビジネスパーソンは多いのではないでしょうか。
何をやるのか(What)、なぜやるのか(Why)、どうやってやるのか(How)の三つについて網羅的にコミュニケーションをとることで、伝えた相手が納得して行動できるように私たちはしています。
ユングの理論に基づいているソーシャル・スタイル(Social Style)というタイプ論では4つの性格タイプ(あるいはコミュニケーションのスタイルと言っても良いかと思います)が出てきますが、What-Why-HowにWhoを加えて、そのそれぞれタイプがが何を重要視しているのかを知ることができます。つまり、
ドライバー(Driver)は、What。つまり何をするのかが大事。
エミアブル(Aimable)は、Why。なぜするのかが大事。
アナリティカル(Analytical)は、How、どうやってするのかが大事。
エクスプレッシブ(Expressive)は、Who、誰がするのかが大事。
というように。
管理職研修でコミュニケーションについて教える際には、タイプの違いとこれら(What、Why、How、Who)を全て入れて指示をしないと伝わらない人が出てくることを強調しています。
また、サイモン・シネックが提唱しているゴールデン・サークルも有名ですね。
優れたリーダーは、まずWhyから話を始め、そこからHow、そしてWhatへと展開をしてゆく…
例えば製品のスペック(What)を訴えてもモノは売れない…なぜそれが重要であるのか(Why)、その重要なことをどのように体現している(How)からこのスペック(What)になるのかという順番で説明するから人々は支持するのだというところがポイントになっていますね。
What-Why-Howのどこから話を始めても、そこにWhoを混ぜて伝えたり支持しても良いのですが、それだけで人が納得して行動できるかというのと、私は難しいのではないかと思います。
なぜならば、多くの場合Howの解像度は荒すぎるのです。あるいは、Howという言葉の意味を取り違えているかもしれないとすら私には思える時があります。
Howを分解してみる
How。つまり、どうやってやるか?
多くの場合、「どうやって」だけだと抽象的な行動になってしまいます。
例えば、企業で社会貢献活動をやろうとしてるとしましょう。
そのWhy(なぜやるか)は、会社の評判であったり、地域との交流であったりするでしょう。すなわち行動の目的ですね。
そしておそらくその次にWhat(何をやるか)がブレインストーミングのように出てくると思います。目的に照らして相応しい具体的な行動を決めてゆくわけです。ここでは「オフィス周辺の清掃」とでもしておきましょうか。
さて、Howです。オフィス周辺の清掃を「どうやるか」。
この問いだけだとすごく様々なアイディアが出てきてしまうでしょう。
例えば、「出社前にやろう」とか「役員がやろう」とか「会社のロゴの入ったTシャツを着てやろう」とか…
ここにきた途端に、アイディアは果てしなく拡散して収拾がつかなくなります。
すると今度は、Howの抽象度を不用意に上げてしまうことになります。
「要するに社員がやらなくちゃと思えるようにやろう」とか
「会社のアピールがちゃんとできるようにやろう」とか
「気軽に簡単にできるようにしよう」とか…
このレベルでHowを決めてしまうと、それぞれがてんでバラバラの行動をとることになってしまいます。
人が一義的に行動できるようにするためには、Howを再度分解して、伝える必要があります。つまり、When(いつ)Where(どこで)Who(誰が)What(何を)を明確にしておくことです。
先ほどのオフィス周辺の清掃で言うならば、
出社時間1時間前に30分だけ(When)、社屋の周りと同じブロックの通りの上を(Where)、その日の当番となる部門が全員で(Who)、会社のロゴの入ったキャップを被って(What)…
と言うように。
ここで、一旦分解したパーツの中にはHowは絶対に入れないようにすることが実は重要ではないだろうか、と私は考えています。
「〜みたいにやる」とか「楽しくやる」とかでは人の主観が入ってしまう余地が出てきてしまい、そこに行動のばらつきが生まれる余地が出てくるからです。
しかし、ここで疑問が湧きます。
Howだと抽象的で漠然と大きすぎて行動できないとしたら、Howってフレームに要るのか?
いやいや、Howって他に必要な場面なかったっけ?
本当にHowってこれだけなんだっけ?
Howの本質
Howを具体的な行動だけだと考えてしまうとそれはWhen-Where-Who-Whatで置き換えができてしまいますし、私はそうすべきだと思います。
一方で、Howは別の意味で必要不可欠になってくると考えています。
ちょっと説明が分かりにくくなるかもしれませんが、ここで一言で言ってみると「具体的な行動をどうやって決めるのか」がHowなのではないか、と。
こういうふうに考えてみましょう。
Why(目的)とWhat(手段あるいは戦略)があったとして、How(行動)と言うのは状況によって組み替える必要が出てくることがありますよね。
目的を達成するために具体的に設定したアクションやプランがうまくいかなくなった時に、書き換えたり組み替えるわけですが、それをどのようにしてやっているでしょうか?
例に出したオフィス周辺の清掃の話だと、そもそものWhen-Where-Who-Whatはどのようにして決めているでしょうか。
社長の一声?多数決?アイディアの先着順?
豪雨が降ってできなくなるかもしれない時に、やるやらないの判断はどのようにして決めるでしょうか。
雨の中来てみたら誰もいなくて、次から来てた人はやる気を失ってしまったり?
新たにスタートさせるときや、変更が必要になった時にはどうやって行動を決めるのかを決めておく必要があるはずです。
これは、意思決定のプロセスを決めておくと言うことでもあるかもしれません。
確かに、明確な意思決定のプロセスや計画変更のプロセスを決めていない組織は多いように思います。それが決まっていないので、不測の事態が起きてしまった時に動きが取れなくなってしまう…
しかし、意思決定プロセスをちゃんと持っていれば大丈夫かと言うと、そこも何とも言えないと思います。
どんな意思決定プロセスも状況の変化に100%対応できるとは限りませんし、一旦決めてしまうとプロセスが硬直化してしまって、動きが遅くなったり柔軟な対応ができなくなったりします。
なので、ここでいうHowはそれよりは少し広い範囲で考える必要があります。
言うなれば、Howを作り出すためのHowであり、状況に応じて柔軟に対応できる「能力」のようなものではないだろうか、と。
私はこれがHowの本質ではないかと思うのです。
そして、そのようなHowはWhatを遂行するためのHowとして出てくるのではなく、むしろWhatをWhyに照らして作り出すような形で、WhyとWhatの間に現れるのではないでしょうか。
こう考えると、冒頭で出したサイモン・シネックのWhy-How-Whatの順番も私は納得ができます。
Howという言葉にはどうやら階層があるようです。
それは抽象的なHowをより具体的に具体的に細く微細にしてゆくミクロ方向のHowだけでなく、今回考えてきた抽象度を上げてゆくマクロ方向のHow。
その両方向に動けることもHowの一端かもしれないです。
Howの解像度が低いと人は行動ができませんが、When-Where-Who-Whatで分解した具体的なHowだけではなく、敢えて抽象的にして色々な行動ができる余地を残す。
そんな柔軟性という言葉の奥底にHowの本質が眠っているのかもしれませんね。