見出し画像

「魂の鳥 Sielulintu」について

「フィンランド東部からユーラシアの民族の間では、天に一本の大樹が立ち、その上には、まだ生まれていない子どもたちの魂が小鳥の姿をして止まっていると考えられてきた。(…)寝ている間の魂が迷わないよう、木彫りの鳥を近くにおいておく習慣がごく最近までカレリアでは存在していた。」

―これは2018年秋、長野・東京にて開催された、ピアニストの小川至・福士恭子によるコンサート「森の響き、湖の歌 vol.3」にて演奏された、ユハ・T・コスキネン作曲《魂の鳥》(作詩:ヨハンナ・ヴェンホ)のために髙橋翠氏に寄せていただいた文章である。髙橋氏は本来フィンランド語であったテクストを、本演奏のために綿密な調査と原詩への敬意とともに説得力のある日本語へと翻訳して下さった。以下の文章は、本作に触れる上での大きな助けとなるだけでなく、「鳥」と「神話」に纏わる広範な興味を読み手に与えてくれるだろう。


魂の鳥 Sielulinnut

髙橋翠

 死者の魂が鳥の形をとるという伝承は、古くから世界各地で見られる。ラテン語の aves は「鳥類」を表すとともに、「祖先の霊」あるいは「死者の魂」をも意味した。ローマの皇帝やエジプトの王たちの墓には、自身の頭上 に鳥が描かれ、天界へと魂をみちびく役割を与えられている。日本では、英雄ヤマトタケルや瓜子姫が鳥となって飛翔した逸話を例としてあげることができる。 ​

 フィンランド東部からユーラシアの民族の間では、天に一本の大樹が立ち、その上には、まだ生まれていない子どもたちの魂が小鳥の姿をして止まっていると考えられてきた。鳥の姿をした魂は、大地へ降りてきて未来の母の胎内へ入る。亡くなった人の魂(とりわけ子どもの魂)は、やはり鳥(ときに蝶や羽のある昆虫)の姿で天の樹へともどって行く。寝ている間の魂が迷わないよう、木彫りの鳥を近くにおいておく習慣がごく最近までカレリアでは存在していた。 ​

 鳥のモチーフはフィン・ウゴル系民族の古代信仰において重要な役割を果たしており、中でも水鳥は天地創造にも関わっている。フィンランドの民族叙事詩『カレヴァラ(Kalevala)』では、割れた水鳥の卵の破片が大地、天空、太陽、月、雲となる。こうした卵生神話はギリシアや他ヨーロッパにも見ることができる一方、フィン・ウゴル系民族には別のいわれもある。原始水界において水鳥が海底から土塊を運び出して大地を形成するという、いわゆる潜水神話である。いずれにおいても水鳥の活躍は見逃すことができない。1992~2001年の間エストニア共和国の大統領をつとめたレナート・メリ(Lennart Meri; 1929-2006)は、民族・文化・歴史学者でもあり、こうした水鳥神話をもつフィン・ウゴル系民族を総称して「水鳥の民(エストニア語:Veelinnurahvas、フィンランド語:Vesilinnun kansa)」と名付けた。本詩においても、死した主人公が最終的に転じた姿はまさに「水鳥の仲間(Vesilinnun kansa)」である。 ​

Kuikat; Ilkka Markkanen; 6.5.2020; Tuusniemi

 印象的な鳴き声で主人公をみちびく鳥は、フィンランド語ではその鳴き声がそのまま名称となったクイッカ (kuikka)、日本語名オオハムである。ヨーロッパ最古の鳥ともいわれ「始祖の鳥(Alkulintu)」の異名ももつクイッカは、夏季にシベリアやアラスカ、スカンジナヴィア等の北国で過ごし、冬には日本や朝鮮に飛来する渡り鳥である。ビロードのようなグレイの頭と頚に、深い赤色の目、長い前頚から胸には縦縞柄の衣をまとっているかのような、なんとも美しい外観をもつ。大型の水鳥で、​足はほとんど尾の付け根近くについており、地上を歩くのは苦手である。その代わり潜水は非常に巧みで、潜水深度は40メートル程といわれるが、80メートルの流し網にかかっていたという記録もある。「水底へと勢いよくもぐりこみ、水底から天へと飛翔する」(本詩より)この鳥は、天をも地底をも棲家とし、水底にあると考えられた霊魂の世界へシャーマンをいざなうことから「魔女の鳥(Noitalintu)」ともしばしば呼ばれる。上述した潜水神話において、水底の土を運ぶ水鳥にはさまざまな鳥の名があげられるが、潜水の名人であるクイッカこそふさわしい-そんな風に考えられないだろうか。整いすぎる容姿が悪魔的な美しさと結びつき、ときに悪魔の化身といわれるのも頷ける。繁殖期が近づいたクイッカたちは「ア・オール,ア・オール」と人の声に似た鳴き声をあげる。源平合戦の戦場となった瀬戸内海には、「オーイ」と人を呼ぶ声に似たこの鳴き声が原因で奇襲をみやぶられ、滅亡の道を歩んだ平家にまつわる伝説が残っており「平家鳥、平家倒し」の異名が与えられている。 ​

 仕事、上司や同僚たちの目、頭の中で鳴り続ける電話のコール音、忙しない時間、環境問題への絶望的な状況に身の置き場を失った主人公は、旅立ちの時期を間近にひかえる仲間たちの声にいざなわれ、路面電車に飛びこむことで自らの命を絶ち、もう一つの世界へと渡る鳥となる。死後の世界をフィンランド語ではマナラ(manala)、あるいはトゥオネラ(Tuonela)と呼び、その黄泉の国の入り口には黒々とした川がまちかまえている。シベリウスの音楽で奏でられる「トゥオネラの白鳥」のいる川であり、「聖なる流れの渦」とも表現される。黄泉の川を越え天へと渡る現代の鳥たちは、しかし「油まみれ」であり、青き星の浄化の必要性を象徴する存在としても描かれている。​

 ジャーナリスト、児童文学作家としても活躍するヨハンナ・ヴェンホの詩は高く評価され、ヨーロッパを中心に多くの言語に翻訳されている。生物学、哲学を学び、古代信仰や神話を修士論文のテーマとして選んだ彼女の作品は、表面的な訳ではおさまらないほど多くの示唆に富み、現世にみえる様々な問題を私たちへ問いかけ続けている。 ​


[参考文献]
HAAVIO, Matti 1950 : SIELULINTU Eräiden motiivien selvittelyä, Kalevalaseuran vuosikirja 30 (p.13-45) ​
HARVA, Uno 2018 : Suomalaisten muinaisusko, SKS(初版 1948, WSOY)
ウノ・ハルヴァ著,田中克彦訳『シャマニズム-アルタイ系諸民族の世界像』三省堂,1971年​
百瀬淳子『アビ鳥と人の文化誌-失われた共生』信山社,1995年 ​
リョンロット編,小泉保訳『カレワラ―フィンランド叙事詩(上・下)』岩波文庫,1976年 ​
Taivaannaula 2012 : Jumalten ja vainajien linnut, http://www.taivaannaula.org

いいなと思ったら応援しよう!