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エッセイ『品のカケラ』教育の変化、世相の変化。

教育も世相も、敢えて劣化とか悪化とは言わないでおこう。

「私=遺伝+共有環境+非共有環境」という説がある。「言ってはいけない(橘玲 著)」という本に詳しい。共有環境とは親による子育てのことで、非共有環境とは友達づきあいのことだそうだ。遺伝に加え、親や友達から影響を受けて「私」が出来上がる。なるほど納得だ。自分の記憶を辿ると小学校の高学年くらいから、親よりも友達を優先することが増えた。両者を天秤にかけ、無論、躊躇することなく友達を選んだ。「ちょっとオカンと買いもんに行かなあかんねん。」など、恥ずかしくて口にできなかった。どうしても家の用事につき合わされる時は決まって「親戚が死んだ」「法事がある」と嘘をついた。これは昭和中期から後期のデフォルトだった。昭和初期から大正、明治と遡れば、友達と遊ぶなどもってのほかで、学校にも行けず、仮に行けたとしても学校が終わるやいなや急いで家に帰って家事、弟妹の面倒、農作業等を手伝っていたのが当時の常識だったようだ。

平成からこっちはどうなのか。友達よりも家族を優先するらしい。そして、なんと、尊敬する人はお父さんお母さんと言って憚らない。家が大好きでできるだけ家から通える学校に進学を希望する。仮に遠隔地で一人暮らしを始めても、毎月のように両親がたくさんのお土産や好物を抱えて訪ねて行くらしい。親は孝行の対象であり尊敬とは違うと思うが。小学校の先生にも中学校の先生にも「ご両親はさておき、歴史上の人物などで尊敬している人を言ってください。」と指導された記憶がある。聖徳太子、弘法大師、楠木正成、織田信長、豊臣秀吉、坂本龍馬、西郷隆盛、二宮金次郎、野口英世などは常連だった。徳川家康が不人気で坂本龍馬がやたら人気が高かったのは司馬遼太郎のせいだ。海外ではヘレンケラー、ナイチンゲール、ガンジー、エブラハムリンカーンはよく名前が上がった。中には孫悟空、ウルトラセブン、星飛馬、三千里も離れている母を訪ねたマルコ、ハイジのおじいちゃん、パトラッシュと一緒に天国にいったネロなどと発言し、教室に笑いを提供する同級生もいた。

大学生にもなって尊敬する人はお父さんお母さんなどと言っている若者は、世間が狭いか、勉強不足か、あるいは変なコンプレックスか。同時に親にも大いに問題がある。昭和の終わり頃か平成の初め頃か、「友だち親子」という意味不明な言葉が流行った。街角インタビューに並んで答えるふたりの女性は母娘。「姉妹ですか?」「いえ親子です」「まさか〜」「どちらがお母様でしょう」「私です」「いやあほんとお若い、そしてお美しい!」などと言われて嬉しそうに髪をかき上げながら笑っている若づくりの母親はいただけない。『親孝行したいときに親はなし』が正解なのだ。友だちなら孝行することもない。

ところで何のために勉強するのだろう。この問いに即座に答えられる人は少ない。当時、国は良質かつ均質で大量の労働力確保のための教育を敢行した。だから世界的にも類を見ない高度経済成長が現実のものとなったことは疑う余地がない。同時にこの高度経済成長真っ盛りの中で育ったぼくたちの世代は、兎にも角にも経済活動優先で日々を暮らしてきた。だから「金持ちになるために勉強する」と誰も信じて疑わなかった。中学校に入ったら中間試験と期末試験がある。それでいい成績を修めればいい高校に入れる。そこでさらに頑張ればいい大学に入れる。そしていい企業に入れたらお金持ちになれる。とまあこういうふうに聞かされて育ったのだ。あの時代はこれが正解だった。なぜなら親たちの世代が敗戦から戦後の赤貧を耐え忍んできたからに他ならない。「せめて子供達にはあんな貧乏はさせたくない。」「お金がないからしなくていい喧嘩や諍いも起こる。」ぼくの祖父母や親たち世代はよくこう言っていたものだ。親たちの気持ちは痛いほどわかる。でもそれを子供世代に託すときに少し歪んだ気がするのだ。親たちは人間形成よりも受験勉強を優先し加えて溺愛し、結果、子供たちは我儘な拝金主義に偏った。少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、これはぼくの実感なのだ。貧乏を経験して初めてお金のありがたみがわかるのに。

勉強は金儲けのためではなく、社会や人様の役に立つためにするものだ。独立して会社を起こそうが、大企業で出世して役員になろうが、それは変わりない。そして、今やっていることが本当に世のためになっているのか朝に夕に考えねばならない。

生まれた時からモノが溢れている環境で育ってきた今の若者たちに少しばかり言うとしよう。ときには不自由を自ら進んでやってみてほしい。電動キックスケーターをやめて歩いてみてほしい。コンビニに駆け込まず晩御飯を抜いてみて欲しい。板の間で寝てみてほしい。
きっと得るものがある。
教育も世相も時代とともに移りゆく。




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