或る小説のプラン
埴谷雄高とムージルの共通性のひとつに、肉体的・行動的キャラクターの後景化がある。
大雑把にいってしまえば、『特性のない男』のクラリセ/モースブルッガー、『死霊』の首猛夫/袖筒のケン坊といった人物が、小説の進行とともに脇にのけられてゆく。
といっても問題は複雑であり、一面的に処理するのは不可能だ。
私は、もしアイデアと構想が確定すれば、この問題について取り組む小説のようなものを書くかもしれない。
そこには、文学における肉体の表現者としての三島・大江・村上といった作家からの何らかの成果がみられるかもしれない。そうでもないかもしれない。