太宰治と三島由紀夫の対のクリシェ
タイトルにあまり意味はない。それにしても、よく並べて語られる二人だ。
三島由紀夫は太宰治を毛嫌いし、批判していたから、怖い、という人がいたが、そんなに身構えることはないと思う。人間、お互い似ていても似ていなくても嫌いだったり好きだったりする。
太宰治にも、三島由紀夫にも、ネガティブな部分もあり、ポジティブな部分もある。
二人とも自殺した、という点を気にする人もいるけれど、彼らの生きたのは戦争と革命と政治と思想の季節だし、一人は心中で一人はクーデター未遂だ。それに戦国時代や江戸時代にもバンバン自死していたし、現代日本も自殺大国である。特筆すべきことにはあまり思えない。
太宰治と三島由紀夫の類似、という話題は、よく言われているので、かえってそこまで興味がない。むしろ、太宰治と大江健三郎の対比、三島由紀夫と埴谷雄高の対比に関心がある。ちなみに太宰と埴谷は同い年。
もっとエレガントで、本質的だと思う対比は、海のメタファーで表現できる。太宰治は日本海の作家で、三島由紀夫は太平洋の作家だ、というのはどうだろう。誰かもう言っているかもしれないが、いくら言ってもいいだろう。
太宰の傑作『津軽』は日本海の荒々しい美を描いて余りあるし、三島の遺作『天人五衰』は無限≒夢幻の時間と空間の場としての太平洋が隠れざる主人公といっていい。
個人的には、別の取り合わせだったり、もっと自意識とか仮面とか日本とかいったキー・ワードから離れた両者の比較を知りたい気もする。