アルンハイム(『特性のない男』第2部第86章)

2024/11/16

『特性のない男』第2部第86章はラーテナウがモデルのキャラクターアルンハイムについて語られるが、果たしてウルリヒ(と著者ムージル自身)は彼をどこまで批判し否定し、どこまでシンパシーを持っていたのだろう。改めて読み返すと、彼と彼らの考え方や行動には相違しそうな点と共通しそうな点が両方含まれているように取れる。ムージルは若き日のアルンハイムの感覚を説明するために自分の過去作の引用まで行っている。ムージルはたとえば日本で影響を受けた大江健三郎ほどには自己言及・自己引用をしないので、強調されるべきケースといえる。尤も、その部分には皮肉な表現も付与されている。 また、この章からは、著者がいわゆる一般の「文学」から距離を置いて分析していたこともわかる。アルンハイムは、芸術(にすぎないもの)と実業(でしかないもの)の間で引き裂かれているが、「魂」によってそれを結びつけることができるという予感が彼の筆と事業を動かしている。そしてムージルはそんな引き裂かれという状態自体も直接記述することで相対化している。「ものを書くという創造活動の大前提となっているあの意識の分裂」。現代では、というより当の昔から、精神的二重人格は道化師だけがやってのける曲芸ではないと書いている。それは、一旦は自分の信念と逆の信念を抱いてそれを拡大し、新しい信念を作ることだという。ちなみにこれは、アルンハイムの方法がウルリヒ(とムージル)のエッセイスムスと通じる点を持っていることを示唆していると思う。つまり思索や行動を一旦仮定して試みる時点では、共通している。そうではあるのだが、ウルリヒが仮定して試みた思索を捨て、絶えず前進していくのに対し(これは第三部の物語の駆動力となっている)、アルンハイムは意識や関心を次々と拡大して際限なく拡がっていくということだ。だが、同時に彼の言説の核心は魂による統合という部分では変わらないのであり、紋切型な、定型句な印象を生み出してしまう。それはこういう小話で示されている。アルンハイムが秘書相手に口述筆記をさせているとき、「壁の沈黙を見る、――」と打たせようとして、「沈黙」と言ったあと少し間を置いたら、秘書は勝手に「魂の沈黙を見る、――」と打っていた。彼はそこで口述を打ち切り、次の日、文章を削除させた。という話だ。その後の物語では、アルンハイムはディオティーマと呼ばれるウルリヒのいとこに恋し、お互い惑乱されていく。

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