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小豆島 木桶サミット参加 その1 小豆島初来訪の時のこと。

Vol.009
日本の発酵文化の土台を支える大きな樽の木桶。
この木桶がなんと絶滅危機にあるという。
それ以来、木桶について学ぶこと、そして伝えることを本業だけでなく、ライフワークとして私は木桶の普及活動を微力ながら続けている。

木桶との出会い。

そのことを知ったのは私の本業のビールのプロジェクトの方で、その伝統を絶やしてはならないとイタリアのブリュワー バラデンが立ち上がった。仕事としてオフィスに行く度にビールの入った木桶を見る。これが日本で生まれ育った私が初めて本物の木桶を見た時だ。
威風堂々とワイン樽に並んでいた姿は素晴らしく凛々しかった。
バラデンが木桶を受け入れたのは2015年のミラノ万博のあとなので、2016年のこと。

その後、バラデンブリュワーは欧州初日本の木桶新桶を使用したビールを醸造し、木桶を守ろうというメッセージを添えて2018年に発売開始。

2018年トリノで開催されたサローネデルグストでバラデンから発表されたKIOKEビールの初リリース。


リリースはトリノで開催されたSALONE DEL GUSTO(サローネデルグスト)。
当日はWBSの取材陣やイタリア内外のマスコミが来訪し、大変賑わったリリースとなった。
このイタリアでのビールの仕事において、木桶のポテンシャルを改めて学んだのがきっかけであった。

ヤマロク醤油山本さんとの出会い。

ビール会社のメッセンジャーとして、東京でヤマロク醤油の山本さんに会うこととなたった。私は日本担当として、イタリア以上に理解しなければならないと連絡を取ることとなった。

東京駅で待ち合わせしたものの、ヤマロク醤油の山本さんの装いは濃紺の法被に前掛け、雪駄のいでたちだった。
実に肝が据わっている人だという印象。
そして木桶をイタリアへ送った経緯を改めて聞くことに。

送った理由は実にシンプルだった。
2015年に開催されたミラノ万博のテーマは食。
そこで日本の食文化の根底を支える木桶を知ってほしいとイタリアへ送ったという。木桶を送ったのはいいものの、日本に送り返すとなるとそれなりの費用がかかる。であれば、イタリア側でいっそ木桶に興味のある引き取り手はいないか山本さんは考えた。そして、万博のオーガナイザーでもあったスローフード協会へ相談して、イタリアでの"ザ 発酵オタク” バラデンのテオムッソの手に行き渡るようになったという経緯だった。

とにかく法話のような山本さんお話で、すっかりと吸い込まれてしまった。そこからヤマロク醤油さんで企画しているみんなで木桶を作るというイベントが小豆島で開催していることを知った。
そしてバラデンの日本担当としてだけではなく、個人として私も参加を決意をしたのが2019年だった。それが私がこの木桶サミットへ参加した始まりであった。

日本全国木桶を使用するメーカーが集結する小豆島

小豆島へ降り立ったのは人生初であった。
高松でJALで飛び、そこからフェリーで1時間揺られての小豆島。
フェリーもまたゴージャスないでたちで、素晴らしい乗り心地であった。

到着すれば、勇ましい男性が多い中、内助の公のように細かいことを支える女性が木桶を囲んでいた。彼らは全員全く違う仕事をするが、まるでそれはひとつの組織のようにも見えた。
そして初めましての私の挨拶に関わらず、歓待していただいた。
木桶作りも体験させてもらったが、その後に続く宴席もあり、すっかり木桶どころか、その参加者の木桶愛にすっかりと使ってしまったのだ。

その参加者たるや、日本全国で木桶を使用した商材を作るメーカーがほとんどで、醤油をはじめ、味噌、日本酒と至った。

これほどまでに木桶が使用されているのに、なぜその職人が日本に1人しかいないのだろうか? と心から寂しく思った。

イタリアはその食文化を維持するためにも、民間での活動が絶えない。
そしてスローフード協会のはじまりのように、食についてもっと考えていこうというアクションがとても多い。
いわゆる「風土」という解釈では、イタリアはとても保守的である。
そして幸いにも私の仕事柄、その食文化を維持するために活動している人コンタクトが多いので、"お互いにとって良くなる"というベクトルが叶うと思った。

実際はバラデンの仕事を通じながらではあるが、私も個人としてイタリアを拠点としながらその日本の文化を発信できると確信して、この木桶サミットに例年参加しようと決意したのであった。

この木桶ノートは続きます。

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