カメラを持ち歩くことの喜び
≪日々の機微 vol.2≫
カメラを持って歩くと、それまで意識してなかったものを見るようになったり、未知な景色との出会いがある。
カメラを持ち歩いて「いつでも撮れるぞ!」という状態を作っておくと、宝探しをするように周囲にあるものに目を凝らし敏感に探し回る。逆にカメラを持っていないときは意識が向かないときすら、いや、時に敢えて意識を向けずに「今は撮れないからどうか出会いませんように!」と念じながら、撮りたい瞬間を逃す後悔と直面することを避け、なるべく見ないときすらある。日常の中で世界への知覚が広がれば撮る行為がなくても喜びを得られるはずなのに、だ。
なぜ撮らないと気が済まないのだろう。
明確な答えは出せないが、写真は常に過去のものになっていく運命の中で、私がそれを見て、私がそこにいた証として残したくなるものなんだろうと思う。
例えば宇宙人を見た体験があったとして、証拠もなく「宇宙人を見た!」と声に出して体験を伝えても周りの人は信じてはくれないだろう。
あなたがそこにいて記録した何かしらの証がないと聞く耳をもってくれないはずだ。
だから、こんなことがあった、こんな美しい風景があった、こんな面白い瞬間があった、という自分の視点を通して出会った目の前のことは過去の証として残しておきたくなるのが自然なんだろうと考えている。
カメラを持つとまだ見たことのない、未知なものとの出会いに気がつき、証として残せるから面白いのだ。
でね。
あれは、いつかの夏の暑い日のことでしたかね。
1人でカメラを持って歩いていると、見ちゃったんですよ。
…宇宙人を。