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「文明の交差を肌で感じる」パレルモのお薦め町歩きと予備知識【その1歴史編】

地中海最大の島、シチリア島
州の人口は約500万人くらい、イタリア20州で人口が一番多い州なんです

イタリアの政治を左右するほどの人口を抱えるシチリア島
その州都であるパレルモですが、日本から観光に訪れる方の意見として

「なんかなあ~、あんまり面白くないなあ~」
「もっと違うものを期待してた」
「なんか、修学旅行みたいで…」

という言葉を聞くことも多いんですワタクシ…

まあ確かに、一目で「おおっ、これは!」という大パノラマ的物体が広がるわけではないので、それも分かるんですが

ワタクシ自身、パレルモの素晴らしさを知るのに10年くらいかかったような気がしますしねぇ…

そこで、ある程度事前にちょっとした歴史&文化的知識があればきっとパレルモの町をより良く楽しんでいただけるんじゃないかなー と思いまして、パレルモの歴史と文化を「できるだけ(複雑すぎてなかなか難しい)」ショート&ショートにかいつまみながら短期間のパレルモ滞在を有意義にできるようなコースをご紹介してみたいと思います ⇐ ワタクシ一応、シチリア州観光ガイド試験(とりあえず国家資格)に合格しておりますんで、極端に間違ったことは記載していないつもりですが、もし何かおかしな点や疑問がありましたら是非コメントでお知らせいただければ幸いです

外国からの侵略の歴史

パレルモだけでなくシチリア島全てがそうですが、実はシチリア島は外国人の侵略をベースに育んできた歴史があります
日本と同じ島国なのに、穏やかな気候の地中海は外部から簡単に島に上陸できる自然条件があるんですね。事実、現代でも30人くらいが限度のボ―トに150人くらい乗った難民が流れ着いちゃうのはシチリア島ですから…

2つの文明社会誕生

紀元前8世紀頃、シチリア島の東海岸側にギリシャ人、西海岸側にフェニキア人がそれぞれ入植して島内に2つの文明社会が初めて誕生します

ギリシャ人は本国での人口拡大等が原因で海外移住のための新天地を求めて、フェニキア人は交易のためのビジネス拠点としてシチリア島に辿り着いたのです

その後はこの2つの異文化連中が己の領地拡大と繁栄を目指し海の出口に向かう領地侵略で争うことになります。ギリシャ人は東から西へ、フェニキア人は西から東へとお互いの領地広大のために戦っていくのですね

パレルモ近郊のソルント遺跡は古代フェニキア人の町だった場所

イタリア半島の強力国家ローマ帝国が南下

紀元前1世紀頃には同じく領土拡大でイタリア半島から南下してきたローマ帝国が島内に入り込みます

東海岸ではギリシャの殖民地シラクーサで誕生した数学者アルキメデス、西海岸ではカルタゴのハンニバル将軍など現代でもその名を遺す有名人達が活躍して必死に抵抗しますが、結局ローマ帝国がギリシャもフェニキアもひっくるめて島を制覇してしまいます

そんなローマ帝国が衰退すると今度はバンダル族、ゴード族なんかがやってきて無茶苦茶になるんです

ローマ時代の床モザイク 皇帝の別荘だったといわれている

今度はイスラム勢力が北上してくる

そして紀元9世紀にはアフリカ大陸から北上してきたイスラム勢力によってパレルモはイスラム社会の中心地となったのです

ここからがパレルモ観光の重要ポイント!イタリア内の他の観光地と一線を隔てる部分です

イスラム社会の革新的技術が導入されたパレルモはむっちゃ繁栄するんですが、面白くないのはカトリック教会勢力が支配する西側社会
何とか領土奪還のために頭を絞ります

パレルモにあるイスラム建築の建物

これまた異色の傭兵部隊床なノルマン人が占拠

で、領土奪回のためにカトリック社会が送り込んだ刺客が武闘派ノルマン人!
元海賊の傭兵軍団なんで、そりゃー強い強い!あっという間にシチリア島全土を掌握して12世紀にはパレルモを首都としたノルマン王国が誕生するのです

なんと、島に何の関係もない超外国人が王様になっちゃいますよ

しかもノルマン人達って「そもそも」ガチなカトリック教徒ってわけじゃないんですよね。カトリックになっておいたほうが、いろいろお得だから… というようなビジネス感アリな傭兵さんがベースですからね

そういうわけで、ノルマン王国は実用的で能力主義。宗教や出身に関係なく、とにかく実力や知識のある優秀な人材を歓迎したんです
このおかげで、首都パレルモには最新鋭の技術システムや文明がどどっと入り込んで他の町には真似できない新しい文化が誕生したんです

これがパレルモが「文明の十字路」と呼ばれる所以
パレルモ観光のメインエベント的存在な部分です

因みに当時のパレルモでは主な公用文書は3か国語(ラテン語、ギリシャ語、アラビア語)で表記されていたそうで、外国から集まる多くの書物も翻訳され世界最初の世界地図もここで誕生しています
12世紀のグーグルトランスレートとグーグルマップ的なものが開発されてたんですね~ すごいわ

ラテン、ビザンチン、イスラム文化の融合が作り上げた芸術

超天才!フリードリッヒ2世の登場

そんなこんなで欧州カトリック社会が十字軍やってる時期に、イスラムとビザンチンとラテン社会が「のほほん」と共存して大繁栄していたパレルモですが、ノルマン王朝の直系血筋はあっという間に絶えてしまいます

そして幼くして次期シチリア王となるのはフリードリッヒ2世
神聖ローマ帝国の王子様とノルマン王国のお姫様の間に誕生した超ビッグな血筋の持ち主です

この王様、母方のおじいちゃんの影響を強く受けたせいか超絶革新的な考えを多く持っていたようですね
文芸を保護し、パレルモのサロンでは多くの詩人や知識人が集まり、

感情を書き言葉ではなく話し言葉で表現しよう という運動が生まれました
当時、書き言葉はラテン語、話し言葉がイタリア語だったんですね
これが、イタリア語誕生のルーツはシチリア島と言われる所以です

あ、因みにフリードリッヒ2世自身も9カ国ぐらい理解したそうで、十字軍に参加した際にもイスラム側の王族とアラビア語で会話したり一緒にモスクに行ったりしたらしく、後にカトリック教会から破門を言い渡される危機にも陥っています
でも、ほぼ無血で十字軍奪回できたのは彼だけということを考えると、やっぱり当時の考えからは宇宙人的に飛躍していたのかもしれません

パレルモ大聖堂内にあるフリードリッヒ2世の墓

反感が勃発したフランス人の支配

13世紀以降のパレルモは暗黒時代
ごちゃついた跡継ぎ抗争はフランスのアンジュー家が勝利します
首都もナポリに遷都され、シチリア島を搾取の目的としか考えなかったフランス人の支配は、島民との間に大きな亀裂を生じさせ、パレルモでほぼ初めての大規模な島民一揆が勃発します

この一揆は後にヴェルディ―のオペラ『シチリアの晩鐘』のモデルとなっています

わりと安定だったスペイン時代

この一揆を機にやはり王位継承権でフランスに敵対していたアラゴン家が介入
スペインの手助けで、フランス人を島から追い出すことに成功するのですが、今度はスペインがそのまま居座ってしまいます
まあそれでも、スペイン王朝とかつてのノルマン王朝は親戚関係でもあったせいか、地元の貴族達にも受け入れられ、その後発展するスペイン帝国の一部となったのでした

スペイン大帝国時代の恩恵もありパレルモも比較的安定していましたが、敬虔なカトリック教国であったスペインにより、古代ギリシャ劇場が城塞の石材となったり、ノルマン時代のイスラム建築が改装されたりとシチリア島のマルチカルチャーは失われ、パレルモにも後期ゴシックやバロック建築の教会やお屋敷が多く建てられました

スペイン統治時代のバロック教会

とまあ、このくらいまでがパレルモ観光で知っておくと便利な部分でしょうか?

ここまでの予備知識で十分に有意義な観光ができると思うのですが、ここまできましたから、その後もサクッと続けておきます

スペイン帝国崩壊後とイタリア統一

16世紀後半、無敵艦隊の敗北で没落していくスペインのツケでシチリア島の支配者もクルクルと目まぐるしく変わっていきます

最終的にはスペインブルボン家の支配となり、両シチリア王国も誕生するのですが、飢饉、疫病などに苦しむ島内は次第にブルボン王家擁立派と独立派で分断されていきます

そして、1860年5月11日ガリバルディ―将軍がマルサラ湾沖に上陸、
イタリア統一戦争が始まります
パレルモは1860年5月30日、3日間の包囲の後にガリバルディ―将軍が勝利しました。
1870年にヴェネチア、ローマ教皇領の併合で完了したイタリア統一運動の幕開けにはシチリア島が深く関わってたのですね

このようにパレルモは3千年余りもの長い歴史と異文化の融合で生まれた町なんです
特に現代でも敵対してそうな文化(キリスト教とイスラム)をもつ人達が共存して作り上げたノルマン時代の建物はちょっとした奇跡っぽくありませんか?

次回はそんな文明の交差を感じさせるパレルモの散策ルートを紹介したいと思います

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