42.移住のためにローマへ出発
いよいよローマへ出発する日が来ました。
移住にあたり決まっているのはローマで住む場所だけという状況です。
それでもあの日、成田空港で日本を飛び立つ直前に飛行機の窓から見た景色は、忘れることができません。
嵐の旅立ち
このときの飛行機は、成田からモスクワ経由でローマへ飛ぶアエロフロート便を選んでいました。
モスクワで給油のために降り立つものの、トランジット時間が短くすぐにローマへ向けて発ちます。
さらに飛行ルートも最短距離なのでアリタリアの直行便とほとんど変わらないのに値段はずいぶん安かったのです。
出発の日は台風が関東地方を直撃していました。
ものすごい雨が降っていたし雷で機体準備がなかなか整わず、予定されていた搭乗時刻もどんどん遅れていきます。
もしかしたらこのままキャンセルになるかもしれないと思ったころ、約2時間ほど遅れて飛行機はモスクワへ向け飛び立ちました。
モスクワ空港で走る
この日の成田発モスクワ着のフライトで、そのままローマまで飛ぶのは私だけだったようです。
約10時間のフライトを経てモスクワ空港へ降り立つ前にCAがやってきて、最初に機外へ出てもらうので前のほうへ移動するように促されました。
そして、ドアが開くと同時に飛行機を降りると地上スタッフが待ち構えていて、彼女の後を付いてモスクワ空港の中を走ることになります。
早歩きとか小走りとかいうレベルではありません。
まさに全力疾走並みの走りなのです。
もともとトランジット時間が短い設定だったうえ、ローマ便はたしか1日に1本しかありませんでした。
これを逃すと丸1日モスクワへ足止めとなり、それは航空会社にとっても私にとっても避けたい事態であることに違いはありません。
というわけで、カートを引きずりながらツルツルすべるモスクワ空港の中を私も全速力で走り抜けました。
空港の様子や空港内の売店に何があるのかを見る余裕など全くありません。
そしてローマ便の搭乗口に着いたときには、汗だくだし息もゼーゼーと上がっているような状態でしたが、なんとか間に合い、というより私の到着を待っていてくれたのだと思います。
乗り込むと同時に飛行機のドアが閉まる気配を背中で感じました。
まさかのロストバゲッジ
あとはローマ・フィウミチーノ空港まで約4時間の空の旅です。
空港には、大家さんが知人のタクシー運転手を手配してくれています。
嵐の中を飛び立ち、モスクワ空港で走ってローマ便に飛び乗り、やっと落ち着いて機内食などいただきながら空の上を旅を楽しみました。
大船に乗ったような安心感とすでに日本時間では夜中を大きく過ぎている時差とでぐっすり眠っていたら、あっという間にローマ・フィウミチーノ空港へ着きました。
入国審査を終え、あとはスーツケースをピックアップしてタクシー運転手と落ち合うだけです。
それなのに、待てど暮らせど私のスーツケースは出てきません。
考えてみたら分かるのですが、モスクワ空港であれだけ走らされたのです。
私のスーツケースの積み替えなどできるわけがありません。
始めからロストバゲッジするつもりで人間だけ飛行機に乗せたのです。
仕方なくロストバゲッジの申請カウンターへ行くと、私の荷物はたしかにモスクワ空港に保管されていました。
そして、次のローマ便に乗せ、言われた先まで届けてくれるというので、ローマでの住所を伝えて手続きはおしまい。
1時間ぐらいかかってしまったと思います。
しかし、イタリアで使える携帯番号もなく、運転手にも大家にも遅くなる旨を伝える手段がありませんでした。
あまりに出てくるのが遅いので運転手が帰ってしまっていたらどうしようかと気が気ではなかったけれどそんなことはなく、ちゃんと待っていてアパートまで送り届けてくれました。
そして、同日、夜中の12時半にはアパートのWIFIをつないで日本の家族に連絡を入れています。
嵐の中を旅立ちロストバゲッジまであるだなんて、まさにこのあとの波瀾万丈なイタリア暮らしを予告されていたかのようです。
それでもともかくこうして、移住の第一歩を何とか踏み出しました。